杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

旅の記録はプライスレス(ヒッチハイク二日目編)

 ご無沙汰しております。前回から大変時間が空いてしまいましたが更新させていただきます。

 前回、ヒッチハイクについて書いたのだが、予想以上に書く内容が多すぎたので、やむを得ず三部作になってしまいました。今回はその第二部です。

 上中下でいえば「中」の部分。序破急でいえば「破」の部分。起承転結でいえば…どこかわかんねえや。

 まあ、とにかく二日目のヒッチハイク旅、「北九州~長崎立ち寄り、博多行き」編をお送りさせていただきます。

 一日目の紀行文はこちら。

xizxsaxixyoxa.hatenablog.com

 

北九州~古賀SA

 前日、北九州の小倉に着いたのはおよそ24:30。眠りについたのは大体2:30くらいだった気がする。ヒッチハイク旅は時間が読めないので、すべからく早く行動することが求められる。この日は8:15に目覚め、朝食のサービスがあったので、とりあえず食べに行った。その後、シャワーを浴びたり、身支度をして10時頃にホテルを出発する予定だったが、準備中、9時頃からホテルのオンデマンドチャンネルで、暇つぶしに「僕だけがいない街」を見ていると、想像以上に面白い展開だったので、結局最後まで見てしまい、出発するのが11時になってしまった。何たる不覚…。まあ、面白かったので良しとしよう。

 ホテルから歩いて一番近い小倉北ICでヒッチハイク開始。この日は雨の予報で、気温も少し肌寒かったので、早く見つかってほしいなと思いながら「博多」と書いたスケッチブックを掲げて立っていた。

 すると、前方に停まってくれている車発見!荷物をまとめ、とりあえず車へと走る。

 乗っていたのは一人の男性で、博多には行かないけれど、途中までで良ければと言ってくれたので、ありがたく乗せてもらうことに。

 話をしていると、どうやら福岡県の中学校で教員をしている方らしく、今年度から転勤になったので、荷物の整理や餞別を渡しに行く途中だったらしい。結構多いな学校関係。

 となると、道中話すことはもちろん教育についてなのだが、やっぱりどこの現場でも不満はあるのだなと思った。その上、やはり続けている時間が長ければ長くなるほど、人間はその環境に適応しようとしてしまうので、不満が不満で終わってしまいがちになる。「まあ、仕方ないや」とか「何も変わらない」とか思ってしまいがちになってしまう。それが大人と呼ばれているものなのかもしれないが、それでも僕はそうはなりたくない。この乗せてくれた方がそうというわけではないが、もっと抗ってみるのもいいのではないかと思ったし、お互い頑張ろうという話を最後の最後までして、古賀SAまで送ってもらった。目的が同じ集団だ。それさへ共通していれば、いろんな人間、いろんな思想がいたりあったりしてもいいはずだ。

 

古賀SA~基山PA

 古賀SAから再びヒッチハイク。SAが改装工事中だったが昼時ということもあり、人の出入りは申し分なかった。

 行き先をどうしようかと悩んでいたところ、「博多」と書かれたスケッチブックを見た二人組のギャルが「博多今から行きますけど乗りますー?」と言ってくれたが、長崎まで行きたかったので惜しみながらも他を探すことにした。ギャルと話したかったぜ…。

 その後は博多?でゲストハウスを運営している人たちから頑張れと言ってもらい、ホルモン揚げをもらった。ありがとうございます。そうして掲げていると基山SAまで連れて行ってくださる方が!しかし、この方との記憶がほとんどない~…。たぶん、次はどこで降りるかとかどこまで目的地にしたらいいかとか、本格的にヒッチハイクの話しかしていなかったからだと思う…。本当に申しわけないですぅ…。

 というわけで基山PAに到着!ここは大分、熊本、長崎に分かれる前の最後の大きな休憩所なので、長崎行きも多いだろうとのこと。ただ長崎自動車道は急に車が少なくなるので頑張ってくれと言ってもらい、その方とは別れた。ありがとうございました!

 

基山PA~金立SA

 さて、基山PAに着いた我々だが、とりあえず腹ごしらえということで、基山PA限定の華味鳥バーガーをロッ●リアにて食らう。柚子胡椒が絶妙にちょうどよく、おいしくいただきました。

 さて、腹ごしらえも済んだことなのでヒッチハイク再開。このとき少し天候が悪くなり、少し雨が降ってきた。雨のヒッチハイクはしたこともないし、かなり過酷だろうと思っていたので、できれば早く車に乗り込みたかった。

 そんな時に爽やか高身長のイかした男性が「こんにちは」と声をかけてくださり、「ヒッチハイクしている人には行き先に関係なく声をかけてみて、もし乗せていけなかったとしても、頑張ってって温かい飲み物を渡したりするようにしているんです」と言い、温かいお茶を渡してくれた。イケメンすぎる…!

 そして、長崎までは行かないけれど、途中のSAまでなら乗せて行ってあげるよと言われたが、ここなら直接長崎まで行く車に出会えるかもしれないとも言われた。決めるのは僕たちに任せるということだろう。僕らが出した決断はもちろん乗せて行ってもらうことだ。雨も降りそうだったし、何より早く長崎に行きたかった。

 ということで爽やか高身長イケメンのトオルさんの車に乗せてもらい、途中の金立SAまで連れて行ってもらうことになった。ありがとうございます。

 どうやらトオルさんはヒッチハイクの常連で、一度北海道にスノボーに行った帰り、荷物は先に家まで送り、体一つで北海道から地元である佐賀県まで、途中寄り道をしながら、約一か月間ヒッチハイクだけで帰ってきたらしい。なんという行動力。

 その経験(これ以外にも海外でのヒッチハイクや様々な経験をしている)が現在の仕事でも非常に役に立っているらしい。具体的には営業などで、その地方地方での地元民なら知っているという情報についても詳しかったりするので、取引先との関係も円滑になるらしい。恐るべしコミュ力。

 そんなトオルさん、なんと次期社長らしい。家業である仕事の三代目?だかなんだかで、そろそろ世代交代なのだそうだ。なのである程度時間も融通が利くらしい。納得の余裕感のある爽やかイケメン加減である。

 そして、話題は僕らの仕事について。基本的にヒッチハイクをしていると、まず聞かれることは「学生さん?」なのだが、今回も例に漏れず聞かれた。とりあえず学校で働いている旨を伝え、ここでもやはり教育の話に。

 ヒッチハイクをしている意味だの、教師だからこそいろいろ経験しなくてはいけないだの、僕の持論をしっかり聞いてくれ、余裕のある寛大な心で受け入れてくれながらも、トオルさんも熱く話してくれて、目的地のSAまで、とても時間が流れるのが早かった。

 金立SAに着き、何とか雨もやみヒッチハイクができると思っていると、なんとこのトオルさん、先ほどの話で熱くなりすぎたのか、我々をなんと長崎まで送ってくれると言うではないか…。まさに神のような存在である。

 しかし、トオルさん自身もかつてヒッチハイカーだったので、道中様々な人と出会うことも大切だということで、とりあえず15分ほどヒッチハイクをしてみて、どうしてもつかまりそうになかったらまた声をかけてくれと言ってくださった。

 なので僕らは後ろ盾がある安心感からも、普段より活発にヒッチハイクを行うことができた。

 そもそもヒッチハイクは全く予想ができないことばかりであり、途中心が折れそうなことも何度もある。4時間まったく動けないこともあった。なので、この安心感は非常に緊張感を解いてくれてとてもありがたかった。

 そうやってヒッチハイクをしていると一人のおじさんが声をかけてくれた。

 長崎に連れていってやるから荷物運びを手伝ってくれとのこと。もちろん快諾である。というわけでスタバで時間をつぶしているトオルさんに報告に行こうとしたがいない。なのでSA内の販売エリアに探しに行ってみると、どうやら何かを買っていたようだ。

 僕はトオルさんに乗せて行ってくれる人が見つかった旨を伝えると、よかったねと言ってくれた。そして先ほどレジで買っていた佐賀土産と博多土産を渡してくれた。優しさの権化である。本当にありがとうございました。

 

金立SA長崎

 というわけで我々はおじさんの車に乗り長崎を目指した。

 おじさんはここから長崎に行くよりも、長崎から博多に帰るほうが難しいんじゃないかと脅しをかけてきた。まさかこの予言が現実になろうとはその時の僕らは毛頭考えていなかった。

 おじさんは東京~長崎間をよく仕事で行き来しているらしい。その仕事は楽器や機材のレンタルらしい。しかし、その仕事は副業らしい。謎の人物である。

 また、本業はSEだと言っていた。なんでも、野球観戦のチケットサイトを運営しているらしい。今はソフトバンクのチケットサイトを担当しているらしいので、ほとんど博多に籠りっぱなしのようだ。世の中にはいろんな仕事があり、いろんな人が仕事をしているおかげで僕らは生きていけるのだと改めて感じた。

 そんなこんなで話をしながら長崎を目指すが、こりゃまた長崎が遠くてたまらん。道中、山か田園、棚田などが広がっているだけで、住宅地なんてものはほとんどない。この時点でなかなか不安になっていった。

 しかし、長崎に近づくにつれて車の数も少しだが増えてきたので、まあ何とかなるだろうと思っていた。

 そんなこんなで高速を降り、おじさんの家に向かったのだがとにかく長崎、坂が多い!!おじさん曰く坂が多すぎて自転車は使い物にならないと言っていたが、なるほどと頷けるほど坂だらけであった。

 そして、おじさんの家に機材を搬入。その後長崎の繁華街?っぽいところで降ろしてもらった。ありがとうございました。

 

長崎観光

 長崎に着いたのは大体16時頃。ホテルのことなどを考えると18時には長崎から出発したかったので、なかなかタイトなスケジュールが求められる。

 というわけで、道に電車が走りまくっていたのでとりあえず乗ってみることにした。しかし、これがまた初見殺しの極みのような乗り物であり、どのように乗り場に行くのかもわからないし、乗り継ぎをするときに運賃を払わなければならないのかもわからなかった。というわけでとりあえず出島で降りてみた。なぜ出島なのかというと、長崎で知っている地名が出島しかなかったからである。

 結局、出島からオランダっぽい観光地まで歩いて行った。なかなかのロスタイムとなってしまったが仕方ない。

 オランダっぽいところは本当にオランダっぽかった。オランダに行ったことはないが。

 キリスト教が強い建物があったり、西洋建築があったり、グラバー邸にも入りたかったが、時間がなかったため断念…。

 そんなこんなで足早に観光を済まし、カステラの試食を楽しみ、カステラをお土産に買って帰った。

 せっかくなのでちゃんぽんを食べたかったので店を探したが、リンガーハットが多かった。大阪でも食べれるぜ…。と思ったので、なんだかシャレオツな中華レストランでちゃんぽんを頂くことにした。開店後すぐに入店したのだが、その時点で満席という人気店だったので味も期待できそうだった。

 少しの間待ち、席に通されると、時間もないので一瞬で注文。まあちゃんぽんを食べると決まっていたので特に注文に時間をかける必要もなかった。しかし、人の数も多かったので、なかなか運ばれてこなかった。これには結構はらはらした。

 そして、蓋付きちゃんぽんが運ばれてきた。蓋がついているだけで本格的な雰囲気を漂わせている。味もおいしい。今まであまりちゃんぽんは食べたことがなかったが、結構いけるなと感じた。

 時間もなかったのでちゃんぽんを流し込み、店を後にし、ヒッチハイク再開ポイントへと急ぐ。この時点で少し雨が降っていたので、なかなか不安になった。また、長崎だから仕方がないが、長崎ナンバーの車ばかりで、高速に乗る車もあまりなかったので、いよいよ帰れるのかと心配になっていた。

 

長崎~博多

 とりあえず、先程の楽器の運び屋おじさんに教えてもらったインターチェンジを目指し、路面電車に乗り、平和記念公園の近くで降りる。

 本当は平和記念公園も観光したかったのだが、辺りは暗くなってきた上に雨も降ってきたので、とにかくインターチェンジを目指す。

 歩きながらも「博多」と書いたスケッチブックを掲げていたが、通るのは長崎ナンバーばかり。かなり不安である。

 とりあえず昭和町インターチェンジに着いたが、これがまたヒッチハイクに向いていないタイプのインターチェンジであり、通行人のおばぁちゃんからも、絶対無理だと太鼓判を押される始末。通りがかりの青年に、博多までのバスが出ているからそれを使ったら帰れると言われたが、とりあえずヒッチハイクであることを伝えると、なんだか申し訳なさそうに帰っていった。すまない、しかしありがとう青年よ!

 そこから全く捕まる気配がないので、我々は禁じ手であるバスを使うしかないのかと思い、とりあえずバスの時間を調べてみた。

 幸いまだバスは何本か出ているらしく、予約するしかないか、と会員登録をするところまで考えた。

 会員登録はしなかったが、どの道バスに乗るには長崎駅まで行かなければならず、昭和町から長崎駅まで歩きながら、「長崎」と書いたスケッチブックを掲げていた。とりあえず誰かに停まってもらいたかったからである。

  すると、一台の車が停まってくれた。若いカップルであった。一度我々の前を通り過ぎたが、気になって戻ってきてくれたらしい。ありがたい…。

 彼らは長崎育ちの地元民で、映画を見に長崎駅の方に向かっている途中だったらしい。

 彼ら曰く、博多から長崎に来る人は新幹線で来ることが多いらしく、車はあまり期待できないらしい。僕たちも「そうですよねぇ」と、電車かバスを使うしかないのかあ、と思いながら話をしていた。

 すると、助手席に乗っていた彼女が、友人に連絡して、博多まで乗せて行ってもらえるか聞いてあげるというので、僕たちはそれに一縷の望みに託す他なかった。

 しかし、どうやらその友人はその時佐世保にいたらしく、僕らの望みは儚く散ってしまった…。

 …かのように思われたが、少し同情してくれたのか、この出会いに何か感じたのかはわからないが、どうやらその時見たい映画もなかったらしく、博多まで少しドライブする?という展開になっていた。

 私はこの時地上の神の存在を確信した(笑)。しかし、ヒッチハイクをしていると、毎回必ず神のような方々と出会ってしまう。優しさに助けられていると言ってしまえばそれまでだが、信じていれば手を差し伸べてくれることもあるのだと確信できる。

 私のテンションはさっきまでの絶望と打って変わって、ただただ盲信するしかなく、胸の高鳴りは最高潮であった。

 結果的には博多まで送ってもらえることとなった。本当にありがとうございました。

 その上、飲み物までごちそういただき、至れり尽くせりで助かりました…!

 長崎自動車道は思ったより車通りが少なく、閑散としていて、外灯もなかったので、長崎から一発で博多まで帰ることができなかったら、完全に野宿パターンだったと思う。ひえ~。

 道中話をしたことはたくさんあるが、とにかく仲のいいカップルだった。というより、バランスが良かったのかもしれない。彼氏の方は天然キャラなのかわからないが、たまに、会話が嚙み合わなかったりしていて、それに対して彼女が罵倒するのだが、なんだか愛のある罵倒であり、それに対して彼氏も、まったく嫌な素振りも見せず、我々も楽しい雰囲気を過ごせた。

 あとはやっぱり方言の違いや、ものの略し方の違いの話などで盛り上がった。

 セブンイレブンを「セブイレ」と略すのは大阪だけなのか?

 

 そんな話をしていると博多に到着。これまたホテルの前まで送って頂いた。本当にありがとうございました。これからも仲良く過ごしてください!

 ちなみにカップルの方はあまり停まってくれないどころか、見て見ぬふりが多いと思う。やはり二人の時間を邪魔されたくないのか?どうなんでしょうか。

 ちなみに僕は恋人と一緒にいたほうが声をかけやすいと感じるのだけれどとうなのだろう。まあ、人それぞれだろうけれど。

 そんなこんなでヒッチハイク二日目も、皆さんの優しさで何とか成功しました!

 唯一失敗したなと感じたのは、博多に着いてから飲みに行こうとしたのだけれど、時間がなく、さらに雨ということもあり、謎のメキシコ料理を食べる羽目になってしまったことかな。おいしかったけど、博多にきてメキシコ料理はなんだかなあ。

 

 というわけで次回は最終日三日目についてお送りさせていただきます。

 さすが最終日、やはり事件は起こってしまいますね。

 我々に降りかかる事件とは何なのか。乞うご期待!!

 

 ではでは!!

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。(ヒッチハイク一日目編)

 今年度もあと一日で終わり。新社会人を控えた学生は最後の悪あがきでenjoyしているのかな?就活の大学生もいるでしょうね。頑張ってください。

 それらとは無縁のパリピ大学生。羨ましい!!遊べるうちに遊びまくってくれ!!

 高校生なんかも部活に打ち込んだりして青春してんのかな。中学生は知らん。小学生は公園で野球か?いや、そんな発想は古いのか?

 未だに小学生は小学生っぽい遊びをしてんのかなと思っていたのだが、昨日、新中学生の小学生上がりボーイ&ガールに普段何をして遊ぶのかと聞いたところ、なんとスタバに行ったり電車で出かけたりするなど言うではないか。時代はそんな変遷を遂げていたのかと驚きを隠せない。そもそもスタバなんて俺が小学生の時代は存在すら知らなかったぞ。なんなら未だに注文の仕方もままならないというのに…。

 ジェネレーションギャップに驚きを隠せないおじさん(23)ですが、情報化が進んで様々な娯楽に若年層が進出するのも時間の問題だなと思います。

 …おっと、このままではまたしても説教おじさんになってしまう。危ない危ない。

 さて、みなさん様々な春休みを過ごしていることでしょう。いいねえ。

 そんな私も絶賛春休みだああああ!!いえええええええいいい!!!

 というわけで、ここ数日で4回目のヒッチハイクに行ってきました。今回の目的はずばり西!特に西に行ってなにかしようってことはなく、とりあえず西に行くことだけを目標としていました。

 一日目の目標はずばり北九州市。大阪から北九州までは大体550キロ。こうやって550って書いてみるとそんなに遠くないような気もするが、半端じゃなく遠かった!!朝は10時頃には出発したかったがいろいろあって12時出発となってしまった。

 この時点でだいぶやばいと思っていたが、とりあえず高速のインター前で「神戸」と書いたスケッチブックを掲げる。

 開始20分程で神戸まで行かれるおじさんに乗せてもらった。この方は昔、水商売(?)をしていたらしく、結構いろいろと話してくれた。ここでもジェネレーションギャップを感じることになったが、人間の本質はどこの時代でも変わらないのかもしれない。とにかく後悔のないようにという話で三ノ宮まで連れてきてもらった。ありがたい。

 そこから少し歩いて生田川のインターを目指していたところ、生田川インター前でヒッチハイカーを発見。福岡から大阪まで来て、今から福岡に帰るところらしい。行き先が同じなのでお互い頑張ろうと話をして僕たちは別のインターを目指すこととなった。

 生田川インターは車を捕まえづらいという構造だったのに加えて、やっぱり同じタイミングで同じ場所でヒッチハイクをするのは単に確立が半分になるだけでなく、乗せる側も片方を見捨てるなら両方見捨てるという選択をしてしまいがちなので、縄張りはあまり干渉し合わない方がいいと考え、移動することとなった。

 これが功を奏したのか、京橋インターについた我々は、早いタイミングで次の車を見つけ、玉津のインター前まで移動することができた。女性の方で僕らと同世代くらいの息子がいるらしい。その息子さんも岡山の無人島に遊びに行ったりと、かなりアクティブアウトドアな方らしく、そんなお母さんだからこそ声をかけてくれたのかなと思う。

 玉津のインター前のファミリーマートヒッチハイクを再開。停まってくれた方は目が合ったような気がして停まってしまったという女性の方だった。隣には旦那さんもいた。「姫路」で掲げていて、たまたま姫路に行くとのことだったので乗せてもらえたが、一人だったら絶対乗せてないと言っていた(笑)。これも運とタイミングだなと思った。また、一応学校で働いていると言ったら「先生がこんなことしていていいの?」と怒られた。至極まっとうな意見ではあるが、何もせず学校にいるよりは、巡り巡って生徒の為になる時が来るはずだと、ポジティブシンキングで押し通した。

 この方たちには白鳥SAまで乗せてもらったが、僕らの為に渡らなくてもいい播但連絡道路を渡ってくださって、山陽自動車道に入って頂いた。これもまた、優しさで生かされた。ありがとうございます。

 そうして、白鳥SAでヒッチハイク再開。行き先は「岡山」。これまたすんなり岡山行きの方が声をかけてくれた。これまた女性。しかも若い。その上初心者マーク。かなり度胸のある女の子だった。

 彼女は大学新2回生の女の子で、まさかの未成年かよ!と驚いた。僕らを乗せたのは岡山行きって書いてあって、困ってそうだったから、とのこと。女神かよ。

 そんな優しい彼女、話していくうちにどうやら養護教諭を志望しているらしい。詳しく話を聞いてみると、もともとはブライダル志望だったみたいで、大阪の専門学校に通いたかったらしいのだが、部活の先生に猛反対され、仕方なく教職を志したのだそう。なんちゅう部活なんだ…。

 ちなみに部活は何かと聞いてみると、なんとハンドボール部であることが判明!こりゃミラクルだなと感じ、話を進めていくと、どうやら全国大会で4位になった超強豪校だったようだ…。加古川で後輩の試合の応援の帰りだったようだ。

 これにはなかなかたまげたねえ。ポジションはポストらしい。なるほど、だからこそ見知らぬ男2人を躊躇せず乗せられる度量があるわけである(関係ない?)。

 ハンドボールの話や、教職の話で盛り上がり、吉備のSAまで乗せて行ってもらった。ありがとうございます。

 さて、時刻は17時頃。せかっくなので、きびだんごを購入してヒッチハイク再開行き先は「福山」。

 若い男の子が声をかけてくれた。お母さんと一緒に明石から広島へ帰る途中だったようだ。ありがたく乗せてもらい小谷のSAまで連れて行ってもらった。

 明石へはこれから大学生になり、神奈川へ一人暮らしをすることになるので、その挨拶をしにおばあちゃんに会いに行っていたらしい。僕たちは帰り広島でお好み焼きを食べたかったこともあり、おすすめの店を教えてもらった。「みっちゃん」「れいちゃん」「へんくつや」というところがおいしいらしい。ありがたい。ちなみにもみじ饅頭は「藤い屋」がいいと教えてくれた。

 運転はお母さんがしていたのだが、結構車で長距離移動をすることが多いらしく、一日で広島から富山まで行ったこともあるらしい。とんでもないお母さんである。

 そんな話をしているうちに小谷SAに到着。ありがとうございました。

 さて、この時点で時刻は大体19時。日が回る前に北九州に着ければベストだが、山口県がとにかく長いうえに、いいSAもないので少し野宿の可能性も出ていた。

 そんな時に目の前を黒塗りのアウディが停まり、見るからに品の高そうな女性が乗せてくれた。

 彼女はもとは東京の出身で、夫の実家が広島だったのでこっちに移住してきたらしい。そんな彼女には広島は物足りないらしく、東京の方がいろいろあっていいと言っていた。しかし、こっちの方が住みやすくはあるらしい。どちらも一長一短であるみたい。全てのものにも言えることだが。

 そんな彼女はコンサートやイベント、野球観戦などが趣味らしく、見た目とは裏腹に結構アクティブで、今流行りのカープ女子に対して苦言を呈していた。まあ僕もせめてルールくらいは覚えたほうがいいと思います。カープ女子を名乗るのであれば。

 そんな感じで野球の話で盛り上がったところで、宮島SAに到着。ここからなら北九州まで一発でいけるかもしれないとのこと。頑張ります。ありがとうございました。

 とりあえず、SAにある、厳島神社を模した鳥居の前で写真を撮り、いざヒッチハイク

 時刻は21時前。結構やばい時間帯。しかし、またしてもシングルライダーの女性が声をかけてくださった。彼女は秋吉台まで行くとのことなので、その直前の美東SAまで送ってもらうことに。

 彼女は名古屋から来たみたいで、この日一日で山口県まで上陸してきたなかなかの強者である。四月から公務員として働くようで、それまでの期間旅をしようと思いったったらしい。もともと旅は好きらしく、日本では東北以外は大体制覇しているらしい。強者である。

 ひとりでも遠くまで旅ができる行動力には圧倒されたが、たぶん昔から自分の意思を尊重されて育てられたのだろうと伺える人柄だったので納得である。

 彼女も元教員だったらしく、結構教育について話し合ったりした。やっぱり胸のうちで思っていることはみんなあるんだな。その不平不満をどうにかしなくちゃいけないと改めて感じた。

 そのほかには、山口県のおすすめスポットの情報交換など旅のことについて話していた。私は依然ヒッチハイク山口県の角島に行ったことがあるので、そこをおすすめしておいた。あの時は神のファンキーおばちゃんに助けられたなあ。

 そんなこんなで美東SAに到着。時刻は22:30。結構まずい。人の出入りもあまりよくない。北九州まではあと少しだが不安が募る。

 そんな時に声をかけてくれた男性。どうやら北九州に行くようだ。しかし、高速道路を1時になるまで出られないと話しており、ホテルのチェックインが1時までだったので、とりあえずヒッチハイクを続けることとなった。

 しかし、まったく成果は現れず、いよいよだめだと思い出した時、先ほどの男性が行きたいところへ連れてってやると言ってくれた。どうやら放っておけなかったらしい。

 優しさに感動し、車内に乗り込む。この旅初めての大型トラック。今回で通算二回目である。最近はトラック業界も厳しくなっており、人を乗せるのは基本的にNGらしいのだが、その人は己の心情に反するということで僕たちを快く受け入れてくれた。

 また、どうやら先ほどの話が食い違っていたらしく、0時を超えて高速を出ればいいらしく、それなら大丈夫だという結果になり、小倉まで連れて行ってもらえることになった。

 この日はとにかくこのトラックの中の思い出が一番濃いのだが、それは単にトラックが最高にワクワクすることや、この日最後のヒッチハイクだったからという理由だけでなく、この人の人間性がすごく心打たれたからである。

 簡単に言うと、人生をすべて受け入れているように感じた。自分が今やっている仕事は大変だけれど、それに誇りを持っていた。楽しいことだけが人生じゃない。だけれどだからといって前に進むことをやめることはできない。現状で最善を尽くす。自分にできることはやるしかない。そんな人生観を持っているのだと感じた。

 実際にすごく勉強熱心であり、キリスト教の聖書も暇な時間に読んでいたり、かと思えば、仏教についても学んでいたり。仏教については日本人だから自国の宗教くらいは知っておかないとという理由で学んでいるらしい。また、トラックの中に十字架を設置して祈ったりもしているらしい。

 なんだかすごくいいなと思った。家には二か月に一回程しか帰れないと言っていたが、それに対して不満を漏らすこともなく、現実を受け入れ、その中で自分ができることを一生懸命やっている。すごくかっこいいと思った。自分が信じるものを信じ切る。そんな風に自分もならなくてはと感じた。

 熱くなっていろいろ話ができたし楽しい時間を過ごさしてもらった上に、ホテルの前まで送ってもらった。本当に頭が上がらない。ありがとうございました。またどこかで。

 こうして無事に一日で北九州まで行くことができた。これも皆さんの優しさがあってこそである。世界は優しさで回っている。この一日は人生を濃縮したような一日だった。どんな結果が待っていようともそれを受け入れるしかない。ただ信じるしかないのである。

 次回はヒッチハイク二日目を書こうと思います。結構長くなっちゃったしね。

 ではでは、またの更新を楽しみに待っていてください!(何人楽しみにしていることやら…)

無知と神と宗教と。

 宗教、日本人には馴染みのないものである。

 斯く言う私も宗教に詳しいわけでは無い。

 大体の人は「よくわからないけどなんだか危険なもの」や「信者が怖い」などという印象を持っていることだと思う。

 しかし、その感情こそ宗教が産まれた理由なのかもしれない。

 

日本と宗教 

 先ほど日本人にとって宗教は馴染みがないといったが、それは何故なのか。

 それには宗教の起源が関連しているのではないかと思う。

 そもそも宗教とは既にそこにあるものとして考えている人が多いのではないか。歴史の授業ではキリスト教イスラム教、仏教などが存在しているよ〜と教えられ、それらの宗教の特徴を教えられた。仏教の宗派も様々なものがあると教えられ、また、それらの特徴を教えられた。

 これは学校教育の悪いところではあるが、宗教に限らず、学習のほとんどの場合において何故それが成り立つのか、何故これを学習しないといけないのか、という起源を説明せず、あたかも最初からそこにあったかのように教え込まれる。これは考える力を奪ってしまいかねない。

 実際、私もつい最近までは、宗教の起源や役割に何ら疑問を持たずに生きてきた。正に最初からそこにあったかのように接してきた。

 これは非常に怖いことである。今回は宗教を例に挙げたが、何故そこにあるのか、何故必要なのかを考えることもなく、ただ何となく否定的な感情を抱いてしまう。危険極まりない。

 そんなことは考えなくてもいいじゃないかと思われる人もいるかもしれないが、そういう人がイジメとか起こすのだよ。まぁしかし、あまり考えすぎるのもよくないが、何も考えないのは良くない。

 すっかり話が逸れてしまったので話を戻そう。

 何故宗教が産まれたのか、それは人が「無知」な生物だからである。

 

現代と宗教

 我々人間は「無知」な生物である。

 現代は情報化が進み、家にいながらでも外の様子がわかるし、日本にいながら世界の情報も取得することができる。

 全く便利な世の中である。大体のことはインターネットで検索すると知ることができる。それほど情報に囲まれた生活を送ることができている。

 しかし、それだけ膨大な情報に囲まれていながらも、我々は全てのことを知っているわけではない。それは当たり前だろうと思う人が大半だろう。しかし、その当たり前を意識して生活を送っている人がどれだけいることか。私はそう多くないと思う。

 何故なら大体のことはインターネットを介して知ることができるからである。

 ほとんど私達の脳はインターネットに依存しているといっても過言ではない。

 調べることである程度の情報が得られる。正にインターネットは全知全能の神のような存在であろう。

 現代の我々はその便利さにあやかり、さも何でも知っているかのように振る舞うことができる。自らが何も知らない無知な生物ということを忘れて。

 しかし、もう少し昔になるとまだインターネットは発達しておらず、現代のSNSのような不特定多数と繋がることができるコミュニケーションサービスは存在しておらず、メールなどの特定の人物と繋がることができる閉鎖的なコミュニケーションが主流だった。

 それでも当時は、離れていても手紙をすぐさま送りあえる画期的なテクノロジーであった。それまではもちろん文通などが主流だったからである。

 少し話がそれてしまったが、この話が何故宗教に結びつくのか。

 そもそも宗教とは人知を超えた超常的な現象を、神という超人的な存在を作り出すことによって論理性を得る為に作られたものだと私は思う。

 超常的な現象といっても現代の我々にとっては「常識」という一言で片づけられてしまうような取るに足らない現象である。病気や災害など。

 現在はそれらのメカニズムが解明されることによって、知識として知ることができるが、当時の狭いコミュニティで、情報は噂で伝わり、なおかつテクノロジーも発達していない時代においては、それらはどれほど畏怖されたことだろうか。

 そこで生まれたのが宗教である。原因不明の現象に意味づけをしたのである。そうだと信じるしか他になかったのである。

 現代では、わからないことよりわかっていることのほうが多くなってきている。ましてや、身の回りのことはほとんど解明されているといっても過言ではない。そのような環境に慣れているからこそ宗教は我々から遠いものとなってしまったのではないか。また、日本は島国という点においても宗教が流行っていない原因だと考えられる。

 ほとんどの国々は、陸続きの大地に国境があり、常に他国と隣接している。それだけにとどまらず、様々な文化を持った様々な民族が入り混じっている国もある。そのような国ではルールが曖昧であり、何を信じればいいのかわからなくなってしまうだろう。そこで信じるものが「宗教」なのである。

 人間には生涯でこの国で起きている全てのことを知ることはできない。しかし、人間にも力のある者、ない者、様々な人間が存在している。しかし、力があるからといって何をしてもいいかということはない。時には理不尽な暴力もあっただろう。そんな中で何が正しいのか。人間だけでは答えが出せないのである。そこで超人的な「神」の存在が必要になったのではないか。

 

生き方と宗教

 「神」や「宗教」といってしまえばなんだか取っつき辛い印象だが、詰まる所、その人それぞれが持っている「ルール」なのである。このルールを持っているからこそ海外の人は自分の主張が強いのだろう。しかし、日本人は個人のルール、つまり宗教を持たない人が圧倒的に多い。そのことから主張せず、周りに流される人が多いのではないか。

 現在日本人に求められていることは、自分なりの宗教を持つことではないだろうか。自分で宗教を作り上げるのである。

 我々は無宗教だといったが、広い意味では世間の思惑という宗教に入信している。国家的な宗教だといえる。

 このことをどう受け止めるのかは人それぞれではあるが、今一度考えてみるのもいいかもしれない。今まで見えなかったものが見えてくるし、様々なものの繋がりを感じられることも増えると思う。

 すべての現象は繋がっている。一見自分には馴染みない、理解しがたいことが起きようとも、意外と答えは身近にあったりする。

 何が言いたいのかというと、繋がりを感じて、否定するのはやめましょうということだ。否定は強制的に道を閉ざすものであり、何も生まれない。ましてや一度否定してしまうと、それを肯定することは非常に難しくなってしまう。それは、巡り巡って自分に返ってくる。なぜならすべての現象は繋がっているから。

 もっと楽に、寛容に生きましょうよ。出る杭を打つのは楽しいかい?

 ではでは。

教育の本質とはなんたるか。

 私は現在ひょんなことから公立中学校で働いている。

 一応「先生」と呼ばれる立場なのではあるが、実際に授業を行ったり、校務分掌を行ったりしているわけではなく、他の先生に比べ、どこか一歩引いた視点から教師をさせていただいている。

 かねてから教師になりたいとは思っていたし、実際こうして職業として学校に関われるのは非常に恵まれていることだと感じている。

 今年度の四月、大学を卒業し、周りは社会人となり働きに出ている中、私は定職についていなかった(現在も定職ではないのだが)。その時に少なからず焦りがあったことは認めるし、先の不安もあった。

 そんな時に現在の仕事が決まり、何はともあれ安心した。

 教師になるには採用試験があり、それをまた受験するにしても現場経験がないのは非常にマイナスに働いてしまうので、それは何とか避けたかった。

 そんなこんなで色々な葛藤もありながら一年を過ごしたわけだが、やっぱり学校教育というのはことごとく自分に合っていない気がする。

 

 多様性・個性とはなんなのか。

 私はよく「個性的」だといわれることがあるが、自分ではそこまで個性的だとは思わない。もちろん自分よりもっと個性がある人もいるだろうし、自己表現がもっと独特の人も山ほどいる。しかし、私が個性的だといわれるのは何故なのか。私はこの根底には「学校教育」の影響が根強いと考えている。

 学校にはほとんどの人が通い、またほとんどの人が義務教育段階を公立の学校で過ごす。高校になると私立学校に行く人も増え、また、ある程度同程度の学力で区切られた集団となる。

 現在、私は公立の中学校で勤務している上、自身も小学校から高校まで公立の学校だった為、私立の学校がどのような教育をしているかはわからないが、公立の学校は大体どこも同じような雰囲気だと思う。

 学校では現在、「個性を伸ばす教育」や「選択幅の拡大」など、従来の行き過ぎた平等主義や画一性を是正した教育が求められている。

 これは、二十一世紀という時代に適応するためには必要不可欠であるし、日々生まれるテクノロジーや目まぐるしく変化する時代背景を鑑みれば当然の結果である。しかし、実際の教育現場ではまだまだこの様な考え方は浸透していない上に理解も得られていないのではと感じる。

 その要因の一つは、やはり教育者自身の個性がないことにあると感じられる。個性と一口にいっても定義も曖昧で、どこまでを個性として認識するかの線引きもあやふやなのだが、あまりにも無個性の集団であると感じる。

 私は「個性」とは「アクティブでポジティブなこだわり」という意味で捉えているのだが、教師になっている人はパッシブな人が多いように感じられる。言い方を変えれば非常に狭い視点で物事を捉え、その中で選択させられているように感じられる。

 それにはやはり目の前の仕事で精一杯という背景があるのだろう。若い先生に仕事が多く振り分けられているのが現状で、休みなしで働いている教師も非常に多い。

 そんな環境で生活しているので、もちろん視野を広げる為の時間もない。そしてその環境が当たり前となり、現状に疑問を抱く予知すらなくなる。典型的なブラック環境であり、また、日本人の国民性が仇となっている。そのような環境に置かれ、その上、年功序列の労働環境である。確実に悪循環である。

 さて、そのような余裕のない教師が教育を行うとどうなるのか。上から降りてきた仕事に精一杯になり、教育とは一体何のためにするのかと考えることすら忘れ、狭い価値観で子供たちの前に立つ。これでは良い教育的成果は期待できない。

 私は何も教師が悪いと言いたいわけではない。ただ現状を疑うことすらできないような教師が多いのではないかと危惧している。まだまだ私は若く、知らないことの方が多いとは思うが、それでも若いからという理由だけで自分の意見を言えなかったり、それを否定されたりすることは見当違いなのではないかと思う。

 教師は基本的に生徒を相手にする職業であり、常に自分が上の立場であるとはよく言われているが、そのことによって生じる弊害も無きにしも非ずなのではないかと感じる。「若いから」ただそれだけの理由でまともに取り合ってもらえなかったり、従わなければいけなかったりするのはどうも納得がいかない。わがままという言葉で片づけられるのかもしれないけれど、それも絶対に違うと思う。

 話がそれてしまったが、これは新しい教育者を教育するという点において一刻も早く改善しなければならない問題であると感じる。

 さて、本題に戻ろう。

 「個性を伸ばす教育」とはいうが、その足枷となっているのはやはり古くからほとんど変化のない校則なども関係しているであろう。

 校則で主に焦点となるのは「染髪」や「服装」、「装飾品」などであろう。

 職員室でよくこんな会話を耳にする。「○○の髪の毛が茶色いな」、「△△がパーカーを着てきている」、「□□がピアスをしていた」などなど。私にはこの会話の意図が全くわからない。一体何故それがダメなのか。大抵の場合説明もなく頭ごなしに指導する。

 そもそも一体これらの行為の何がダメなのか。外に出てみれば大体の人は髪を染めているし、女性なんかは高い割合でピアスを空けている。

 それなのに一体何故学校ではそれらの行為が許されないのか。また、パーカーなどの防寒着などは寧ろ着ることを推奨するべきでもある。

 私が考えてみたところ、学校では「おしゃれ」というものに非常に厳しいと感じる。染髪、装飾品などなど、それらは学校では必要ではないとされる。化粧も同じ理由であろう。私はこの風潮に強い危機感を覚える。

 現に、私の偏見かもしれないが教師は「おしゃれ」に疎すぎる。無難ともいえない言ってしまえば本当に「ダサい」服装であったり、常にジャージの人、すっぴんの人、様々である。時計は「G-SHOCK」、鞄は「THE NORTH FACE」などなど。もちろんこれらが悪いと言っているわけではない。ただもっと主体的に考えられないものかと思うのだ。

 以前私がヒッチハイクをしていたことを同僚に話すと、それはたいそう驚かれた。ただその驚きは純粋に凄いといったものではなく、まるで未知のものに出会ったかのような驚きであった。なんだかあまり肯定的でなかったのだ。

 同僚の私にさえもそのような反応だったので、もちろん生徒がやることも端から否定的である。しかし、本人たちはそのことに気付いているのかは定かではない。

 つまり、自分が理解できないことに対し非常に否定的なのだ。しかも理解できる範囲は限りなく狭い。それは学校という空間がそうさせているのかもしれない。実際に私ももっと長い時間学校にいるとそうなっているかもしれない。

 私は生徒がふざけてやっていることや、どんな形であれ自己を表現しようとしていることについて、寛容な姿勢を取っていた。しかし、それは学校という空間では悪とみなされるらしい。

 染髪が反社会的な行為と思われていたのはかなり昔のことだ。服装もまた然り。しかし、現代ではそれらはアートとして取り扱われる。インターネットが発達し、情報が手軽に入手できる時代。昔のような管理教育は限界を迎えている。

 とにかく、教師は他の大人に比べ、圧倒的に芸術への関心が薄いと感じる。芸術とは自己表現であり、それは個性や多様性とも密接に関わっている。また、芸術とは全ての行いに当てはまり、自己の意思が介在するものは全て芸術であるといえる。そのことに気づいていないのか自己表現である「ファッション性」に対して非常に否定的である。

 よく服装や装飾品は個性ではないという教師がいるが、それは間違いである。現に私が個性的だといわれる部分には思想性もあるだろうが、ファッション性も少なからず影響している。つまり染髪や装飾などは自己表現であり個性なのである。

 それを中高生にはまだ早いと思っているのか、はたまた理解できないだけなのか、もしくは深刻な社会的影響が起こりうることを危惧しているのか、真相はわからないが、もっと寛容になって個性を伸ばせる教育を提供するべきなのではないかと思います。

 そんなところばっかりに目を光らせ、指導のための指導をするんじゃなくてもっと大切なことがあるんじゃないかと思います。

 また校則などの拘束性(ダジャレじゃない)の無いルールは、押し付けるんじゃなくて、みんなで作るべきではないかと思います。そうすることで生徒と教師の距離感も縮まる上、信頼感も向上できるのではないかなと思います。

 考えて行動するのと、何も考えずに行動するのでは、やっぱり何かが違ってくると思います。

 「未来の大人が自己実現できるような社会を作るための教育」をしていかなければならないと思います。勉強はもちろん大切だけれど、勉強だけが全てじゃない。

 「未来につながる教育」が今求められている。