杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

何でもは知らないわよ。知ってることだけ。

こんにちは、みんなのヒロイン羽川翼です。

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さて、今回のタイトル、

「何でもは知らないわよ。知ってることだけ。」

この言葉は、『化物語』をはじめとする西尾維新ライトノベルシリーズ『〈物語〉シリーズ』の登場人物・羽川翼が、主人公・阿良々木暦との会話の中で使用する言葉であり、羽川の知識量に感心した阿良々木が「お前は何でも知ってるな」と言うと羽川は「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」と返すのがお決まりとなっている。

 

実際、羽川翼の博識っぷりは相当のものであり、どのような質問にも答えられ、本当になんでも知ってるんじゃないか?とさえも思います。

だから、「知っていることだけ。」というセリフに、当時僕はとても違和感を感じていました。

実際なんでも知ってるじゃん!とも思っていました。

質問の内容に一貫性がなくても、どんな話題にも対応できる。それなのに何でも知らないとはどういうことなのかと感じていました。

 

 しかし、最近になってようやくその意味がわかるようになってきました。

というのも、最近僕自身が「何でも知っているね」と言われることが多くなったからです。

 

確かに、日々知識や情報は増えてはいますが、まだまだ、何でも知っているとは言えません。

そうでなければ、ソクラテスの「無知の知」という言葉を座右の銘にもしないでしょうしね。

 

当たり前ですが、人は知っていることだけしか知りません。

それはすべての人に共通することだと思います。

 

僕は、自分の知識を広げようと思って情報に接しているわけではなく、単純に一つのものを知ろうとすると、それに付随して、別分野の知識も付くと考えています。

ある程度一つのものを知ると、別分野の知識につながるポイントが必ずあります。

 

このことが、点と点を結ぶということなのでしょう。

そして、その点と点が結ばれると、また、別の点にたどり着くことができます。

そのようにして、知識は体系となり、それが世界を広くしてくれるものだと感じています。

 

話は戻りますが、自分の知らないことを知っている人は、それだけ広い世界を生きているということだと思います。

広い世界を生きるということは、考え方も多様であり、視点もまた多角的ということです。

 

それゆえ、自分の持っている世界より、広い世界を持っている人のことを、「何でも知っている」と感じることも無理はないと思います。

世界は自分で広げることができる。

自分の世界はまだまだ狭いと感じること、それが世界を広くする入り口だと思います。

 

言わずもがな、今回の羽川翼のセリフは、僕の世界を広げる入り口、きっかけだったと思います。

というよりは、世界が広くなったから、それが入り口だったと気づけたわけですが…。

 

また、僕が「何でも知っているね」と言われた時は、「何でもは知らない。知っていることだけ知っている。」と返すようにしていますが、

それに対して相手の反応も、羽川翼を知っているか知らないかで大きく異なります。

知っている人はこちらが意図することをメタ認知できますが、知らない人にはそれはできません。

 

つまり、前者は点と点が繋がった状態でありますが、後者には繋げる点がないということになります。

 

とにかく、僕がここで伝えたいことは、

知識は世界を広げる入り口となること。

その知識は目の前にあること。

そのものについて深く考えることで、知識が広がること。

知識が広がれば、世界が広がり、見え方が大きく変わること。

普段からそれを意識すること。

得た知識はすぐに活用すること。

インプットだけでなく、アウトプットすること。

自分が何も知らないことを自覚すること。

 

以上です。

 

見えなかったものが見えるとかなり生きやすくなります。

闇の中にしか光はありません。

知らないという闇を、知るという光で、自分の世界を明るくしてください。

その一人一人の世界と世界が交わり、皆でこの世界を照らしましょう。照らしあいましょう。

それが、愛することへの入り口となります。