年功序列とノブレス・オブリージュ
突然だが、僕は年功序列があまり好きじゃない。
公務員や教員なんかはそれの極みであり、歯がゆく感じる。
他の企業はわからないが、学校現場における年功序列制度がもたらす悪影響は多いように感じる。
基本的に若手の意見はあまり通らない。
恐らく、経験主義によるものだと推測されるが、どうも論理が通用しないことが多い。
例えば、授業方法などがその最たる例だと思うが、現在、学習指導要領が更新され、その運用が始まろうとしているが、どうも歳を取れば取るほど、それを受け入れようとしない。
自分たちはそうじゃなかったから、新しいやり方には賛成できないということらしい。
というより、そもそも新しい方法論を学ぼうとしていない人もいる。
若手の中でも、新学習指導要領をあまり理解できていない人もいると思うが、新しいことを推し進めようとすると、年配の方はどうも否定的な反応を示す。
そして、新しいことをしようとする若手には厳しく当たる傾向にある。
「まだ、多くを経験していないのに、なにを偉そうなことを言っているのか」
言いたいことはわかる。
しかし、それでは経験をしていなければ、なにも言えなくなってしまうのか?
ただ時期が来るのをひたすら待って、自分が年功序列の上位層に君臨できるまで、耐えなければいけないのか?
それはどうもおかしく感じる。
そもそも、そこまで待っていたら、当時は新しかったものも、その時には時代遅れになっているだろう。
現状、学校現場は年功序列に依るところが多く、かなり時代遅れの教育が採用されている。
文部科学省が最新の方法論を提示したとしても、現場がそれを実行しなかったり、あるいは、形式上実行している風を装ったりしているために、いつまでも一回り遅れた教育が施される。
現在の流行りは、とりあえずペアワークをしたり、とりあえずパワーポイントを使った授業作りをしたりと、その本質を見失い、形だけを真似ているところが多いと感じられる。
中には非常に高度な教育を施しているところもあるのは間違いないが、全体の比率では、そんなところは少ないと思われる。
とまぁ、教育的な問題だけに関わらず、このような現状を生み出してしまっているのは、既得権益から生まれる年功序列に依るものだと僕は思う。
つまり、なにが言いたいのかと言うと、年功序列が年功序列として機能する必要条件が揃っていないのではないかと思うのだ。
年功序列的に、役割が増えたり、給料が増えたりすること自体にはあまり異論はないのだが、それによる責任が果たされていないことに憤りを感じる。
直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」
つまり、年功序列の上位層はその社会的地位を確立していることによる義務を果たさなければならないのではないかということだ。
この義務が果たされていないと感じることが多々ある。
基本的に教育現場では、達成しなければならない目標が曖昧である。
いや、実際は教育基本法に基づく目的と目標を達成しなければならないのだが、それを達成し得る方法論が確立していないことが問題なのである。
その現状に甘んじることで、多くの教員は堕落の道を進んでいる。
いや、若しくはそのことにすら気づいていないのかもしれない。
しかし、我々はその崇高な使命を自覚し、絶えず研究と修養に励まなければならない。
しかし、小学校なら6年、中学高校なら3年で、自動的にどのような結果であれ、仕事は一応終わってしまう。
つまり、頑張ろうが頑張らまいが、育て上げれたか育て上げれまいが、期限が来たら終わってしまうので、特に向上心がなくとも勤まってしまう仕事なのである。
また、基本的には終身雇用の身であるから、年齢を重ねるほど、既得権益にしがみつこうとし、胡座をかいた老人ばかりになってしまう。
これでは組織は育たないし、それが教育なら辞めてしまった方がいいと思う。
この現状を変えるには、胡座をかいてアガリを決め込んだおっさん達に、義務を遂行してもらう他ないのである。
若しくは、終身雇用を失くし、能力次第でのし上がることができるような環境が必要となってくる。
これらのことから、まずは既得権益を守ることをやめ、それぞれが向上心を持てる環境が必要であると思う。
しかし、それと同時に、持たざる者、所謂、年功序列の下位層がどれだけ年功序列の上位層の立場を理解できるかがカギとなってくる。
これらを実現させるには、持たざる者は的外れな文句を言ってはいけない。
常に本質を見る眼を養わなければならない。
つまり、個人的な感情で義務を果たそうとしている上位層の足を引っ張ってはならないということだ。
上位層には説明責任があり、下位層はそれを理解しようと努めなければならない。
そうすることによって、上位層も下位層もなくなり、真の平等が生まれるのではないかと考える。
互いに理解し合えるよう議論を続け、アウフヘーベンを繰り返し、ジンテーゼへと皆で導いていく。
そのような世の中になれればいいと私は思う。
さて、正義の議論を始めよう。