杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

ほとんどの人は自由を欲しがってないんじゃない?

どうも、お久しぶりです。

 

さて、みなさん。

自由、欲しいですか?

そりゃぁ、自由、欲しいよ!って人が圧倒的だと思いますが、本当にそうですか?

 

現在、一時的に雇用されておらず、圧倒的に自由な僕が「自由って意外とみんな欲しいものじゃないんじゃない?」という考えに至った考察を惜しげもなくご披露させていただきます!!

 

自由ってステキ!

自由を必要としていないんじゃなかったのか?と、いきなり何言ってんだコイツ状態になられる方もいらっしゃると思いますが、いや、そりゃぁ自由はステキですよ!

 

明日のことを気にすることなく飲みにも行けるし、好きな時に寝て起きれるし、旅行だって行ける。

まさに超ハッピー!

 

何者にも縛られないフリーダムな暮らし。

いつまでも寝ていたいとか、いつでも遊びに行きたいとか、そう思う方たくさんいらっしゃると思います。

 

徐々にやることがなくなる。

でもね、それって結構すぐに限界がくる。

 

自由って自分でやることを見つけないとダメなんで、割とすぐにやることがなくなったりするんですよね。

 

後、自由になっても基本的に消費行動で時間を潰すしかないので、どうしても金銭的な負担が大きくなる。

 

旅行に行ったり、飲みに行ったり、遊びに行ったり、そりゃもちろん楽しいけれど、消費行動なので、心から満足し切ることが難しい。

 

そこまで金銭的に負担がかからない読書や家でテレビを見たり、動画を見たりするのにも、結構すぐに限界がくる。

 

要は超ヒマなんですよね。

 

消費行動では幸せになれない。

そんな消費行動を続けていると、もしかすると働いている方が楽しいんじゃないか、というか、精神的に楽なんじゃないかという気がしてきます。

 

今週末くらいから、また雇用され、働くわけですが、働きたくないというか、あまり気乗りはしないですが、ちょっとした安心感のようなものは少しあります。

 

消費行動が幸せだと感じる人も沢山いると思います。

 

週末の休みはあそこにランチしに行ってとか、観光スポットに遊びに行ってとか、幸せじゃんと思うでしょう。

 

でも、それは休みが有限であるからこそ、消費行動で楽しさを見出しているという風に感じます。

あくまでも僕の個人的な見解ですが。

 

また、平日の5日間をそれなりに苦痛に感じており、羽を伸ばして遊べるから、休日の消費行動が幸せだと感じているのかもしれません。

 

ここまで全て個人的な意見ですが、あくまで僕はこの生活は長くは続かないぞと思いました。

というか、あまりなんのために生きているのかわからなくなりました。

 

人を幸せたらしめるのは何か?

では、消費行動では幸せというか、満足感が得られないのであれば、一体どうすりゃいいんだい!

 

やっぱり生産するしかないのではないかと思います。

しかし、この生産というのがまた難しい。

 

例えば、自分が価値のあると感じるものを生産したとしましょう。

それは絵でも音楽でもイベントでもブログでもなんでもいい。

 

しかし、その価値を自分以外の誰かが感じないと、そこに価値がないのと同じであり、生産のモチベーションの維持が難しくなる。

 

それだったら、金銭を払うことで価値があると約束されたものを消費した方が、はるかに楽で多少の幸福感を得られるでしょう。

 

もちろん、誰かに評価されなくとも、自分が好きでやり続けていることがあるのがもちろん一番幸せでしょう。

 

しかし、人は一度評価されることを覚えたり、そこに可能性を感じてしまうと、どうしてもそれが欲しくなる。

 

メジャーリーガーのイチロー国民栄誉賞を何度か辞退していますが、評価されることがモチベーションの低下に繋がると知っていたのでしょう。

 

そうなると、やっぱり他人の評価を気にすることは、非常に可能性を狭めてしまうということがわかると思います。

 

あくまでも他人の評価は二の次にし、自分の評価を当てにして行きていくことが大切なのかもしれません。

 

話はそれましたが、とにかく自分の価値観を信じ、自らをアウトプットすることが、もしかしたら幸せに近づく第一歩なのかもしれないですね!

 

他人も巻き込みたい

とはいえ、一人で生産できる質や量は限られてきます。

 

イチローの様に自らの心身の限界を伸ばしていく様な、その人の生き様に価値がある場合は別ですが、ほとんどの人がそれをすることは難しい。

 

だから、出来るだけ他人を巻き込んで自由に価値を生み出せる様な、所謂「バンド」を組むことが最善策ではないかと思います。

 

一人、ないし複数人が持ち込んだ曲(価値)を、バンドメンバーで一つの形(生産)にする。

 

このあり方が人生を楽しむカギであり、自由に生きることに繋がるのではないかと思います。

 

これまで自由とは、自分が好きな時に好きなことをすると漠然と理解されてきたと思いますが、その好きなことの中身が、ほとんど消費行動だということに気づいたのではないでしょうか?

 

消費行動は基本的に一人ででき、楽に満足感を得られますが、満足感にも限界があります。

 

しかし、生産行動であれば、工夫次第でどこまでも満足感の幅が広がっていくのではないかと思います。

 

それを、みんなでできたら超ハッピーじゃない?というのが、今回の記事でございます。

 

僕は、以前から他人を巻き込んで、色んなことをしたがっていますが、未だにあまり実現できていません。

 

現在の最終的な目標は「学校を作ること」ですが、割と実現可能な「パーティをする」ということもまだできていません。笑

 

というわけで、5月か6月あたりにパーティがしたいです!

 

パーティと言えど、一体何のパーティだよと思われるかもしれませんが、やはり他人を巻き込んだイベントがしたいので、「共有」に重きを置いたパーティがしたいです。

 

一応、構想としては「一人では解決できないものを解決しよう!〜三人寄れば文殊の知恵。いっぱい寄れば釈迦の知恵〜」的な、パッと今思いついた感じのタイトルですが、そんな感じの人の心の共有に重点を置いたパーティにしたいと思っております。

 

まぁ、こんな感じなので、パーティというかは微妙ですが、是非とも皆で一緒にワイワイ楽しく問題解決したいと思います。

 

というわけで、よろしくお願いします!

 

自由からの逃走

とはいえ、僕も他人を巻き込みたいけれど、なにかをすることに結構ビビります。

 

人は皆自由を求める反面、やはり大衆の安心に身を置きたくなるものです。

 

だってそうでしょう?

僕がこういうイベントを開催すると言っても、前例のないどこの誰だかがやっているのかもわからない本当に楽しいのかもわからないところに足を運ぶのは、それなりに勇気のいることです。

 

それだったら、大衆に支持されている価値の指標のあるところに足を運ぶ方が安定した満足感が得られる。

 

食べログの評価がいい店に行くし、面白いと評判の映画を観に行くし、インスタグラムで話題のスイーツも食べに行く。

そういうもんです。

 

だけれども、それでもなんだか面白そうだと感じたら、その自分の感性を大切にしてほしいと思います。

 

それこそが本当の自由だと思います。

 

フロムは著者『自由からの逃走』にて、人は孤立し、積極的に自由を手に入れるよりは、自由から逃走し、大衆の安定を欲すると説いています。

 

現代に生きる我々を象徴していると感じました。

 

それでも、やっぱり僕は自由に生きたい。

自分が生きる目的を確かめたい。

 

それは抑えがたい欲求であります。

 

ファーストペンギンになるには勇気がいりますが、結局は自分の人生なので、皆さん自由に生きましょう!