杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。

俺はこの言葉に出会ってから、この言葉に込められた思想性を大切にしてきたつもりだ。

村上春樹著 小説『ノルウェイの森』より、登場人物の永沢さんの言葉だ。

 

自分に対する同情ほど、容易いものはない。

そうすることで、少なからず楽になるだろう。

だが、それは問題の根本的な解決になっていないし、あくまで仮初めである。

 

俺はその仮初めを受け入れること自体がどうしても不道徳であり、自分に対して真摯でないと感じる。

 

自分が弱いと思い込んで悲劇のヒロインになることは簡単だ。

しかし、そうしても事態は一向に改善されない。

 

そもそも俺も強い人間ではないが、自分で弱いと認めてしまうとどうにもならないので、自分に同情することは絶対にしたくない。

 

同情や共感、甘えなんて自分で求めるものじゃない。

その感情は他人へのセーフティネットとして機能するべきだ。

そして、一人の人間として、その他人からのセーフティネットに甘んじてはいけない。

 

要は気持ちの問題で、セーフティネットがあるから、大胆に行動できるようになる。

しかし、そのセーフティネットに居心地を感じてしまうのは自分にもその相手にとっても不誠実極まりないことだと思う。

 

「必要なものは理想ではなく行動規範だ。」

 

理想なんてものは仮初めだ。

道徳、つまり、自分にとっての行動規範こそが本質的だと思う。

 

その行動規範がない人間は自分に同情してしまう。

システムを作り、そのシステムを守り切れ。

その先にしか理想はない。

 

理想は誰かに与えてもらうもんじゃない。

自分で求め、自分で守りきらなければならない。

 

これは教訓だ。

 

誰かはわからない相手に向かって、それと同時に、自分にも言い聞かせなければならない。

 

日々起こる出来事は、何かしらの見識を与えてくれる。

それをどのように捉え、どのように役立たせるかは自分次第だ。

 

誰かにとってのメッセージになることを祈って。

 

 

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