杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

僕たちはもっとキレていい。

いつだって人を動かす原動力は、不満であったはずだ。

 

現状に疑問を持ち、それが嘘だと感じた時、俺は憤りを感じる。

そもそも、本当に正しいことが何なのかはわからないが、何が間違っているかはわかるはずだ。

 

例えば、人手が足りないからといって、残業続き、身を粉にして働かなければならない状況が存在しているとする。いや、今この現在、それはどこかで行われているはずだ。

俺はそれは間違っていることだと思う。

俺なら、自分が嫌な思いをしてまで、その仕事をする価値がないと判断できるなら、辞めてしまうと思う。

 

だけれど、そうでもしないと生活できないという人もいるだろう。

好きでやっているわけじゃないけど、生きるためには金がいる。だから、有無を言わずやるしかない。

必要悪だ。

 

そんな必要悪はいくらでも存在する。

酒、タバコ、ドラッグ、セックス、ギャンブル。

それらがないとやっていけない人は多い。

その人たちは、キレまくっている。

どうしようもない現実を。

受け入れがたい現実を。

それらを全てぶっ壊したい。

それでも、それすらもできない。

だから、自分をぶっ壊す。

どうしようもない自分を。

 

クソみたいな社会に憤りを感じているけれど、それをどうしようもできない自分に腹が立つ。

 

自傷行為はそういうもんなんじゃないかと思う。

 

わかった気になっているだけかもしれないけれど、そういう人もいるはずだ。

 

俺は、キレることは健全な証拠であると思う。

ただ、後は方法の問題だ。

ぶっ壊すのなら自分でなくて、クソみたいな社会をぶっ壊せ。

それができないと嘆き、自分を甘やかしていることにはどうにもならない。

 

救世主は現れない。

仮に現れたとしても、そいつを救世主だと思える心の余裕が必要だ。

 

そんな救世主を待っているのなら、誰かにとっての救世主でありたいと思った方がいい。

 

世界に対してキレろ。そして、それにキレてる自分にもキレろ。

世界が発展したのは、現状にキレた人がこれまでに存在してきたからだ。

その人たちが、これまでの常識を全てぶっ壊してきてくれた。

 

俺たちが今常識だと感じているものも、誰かがぶっ壊して、正しくないものになっているかもしれない。

今の常識が、これまでの時代になかったように、正しさはコロコロ変わる。

もし、今の正しさに不満を感じるなら、ぶち壊そう。

救世主は現れないかもしれない。

自分はどう思うのか、それが一番大切だと思う。

 

自分は大切にしたほうがいい。

異常な世の中をぶっ壊せ。

 

常に現状に疑問を抱いたほうがいい。

 

Doubt is the origin of wisdom.

 

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