『ジョジョの奇妙な冒険』はマジの自己啓発マンガ。
最近、以前からオススメされていた『ジョジョの奇妙な冒険』を読み始めた。
現在は第7部の「STEEL BALL RUN」を読んでいる最中である。
ストーリーはもちろん面白い。
しかし、これを読むタイミングは今が一番良かったとも思う。
これより以前に、ー例えば、大学時代にー読んでいたとすれば、今とは違った面白さを感じていただろう。
その理由として『ジョジョの奇妙な冒険』には多くの「自己啓発」要素があるからだと感じられる。
人間賛歌は勇気の賛歌ッ!
ジョジョのテーマは「人間賛歌」である。
第1部で登場する「ウィル・A・ツェペリ」の有名なセリフがこちらである。
巨大な敵に立ち向かうノミ・・・
これは「勇気」と呼べるだろうかねェ。
ノミどものは「勇気」とは呼べんなあ。
それではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!
「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
人間賛歌は「勇気」の賛歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!
いくら強くてもこいつら屍生人(ゾンビ)は「勇気」を知らん!
ノミと同類よォーッ!!
人間賛歌は勇気の賛歌であり、人間の素晴らしさは勇気の素晴らしさなのである。
勇気とは、本能のままに人間に挑むノミが持ち合わせているものではなく、
恐怖を知り、恐怖を超え、我が物とした時に初めて身につくものであり、
両者とも見た目は同じ、強敵に立ち向かうちっぽけな存在として映るが、その本質は全く違っているのである。
この「勇気」という言葉は、つまり「覚悟」と同様である。
第5部の主人公「ジョルノ・ジョバァーナ」のセリフでは、「覚悟」について言及されている。
「覚悟」とは………………
犠牲の心ではないッ!
「覚悟」とは!!暗闇の荒野に!!
進むべき道を切り開くことだッ!
暗闇の荒野とは、先に何があるかわからない。
その上、舗装もされておらず光もない。
常に「恐怖」が待ち受けているだろう。
しかし、その中に飛び込み、自らが光となり「道」を切り開く。
それにはとてつもない「勇気」が必要であり、「覚悟」が必要である。
「道」というのは人生における分岐点のことを言うのだろう。
我々は常に「道」を選択し、今日この日まで生きているが、「道」を選択するという時点では、本当の意味で自分の人生を生きているとは言えない。
既に舗装されている「道」を選んでいるということは、誰かが作った「道」を辿っていることに過ぎない。
自分の目的に合った最短の「道」がそこに存在しているのなら構わないが、大抵の場合はそうではないだろう。
それではその「道」を作った人を超えることはできないし、もしそのゴールに辿り着いたとしても、そこから進むにはまた自分でそこから道を作っていかなければならない。
現在、世界には多くの道が張り巡らされているが、まだまだ未開拓な場所は多いだろう。
どの道最終的には自分で「道」を切り開かなければならないのであれば、早いうちに切り開くスキルを身に付けたいとも思えなくはない。
道というものは自分で切り開くものだ
ジョジョでは、「道」について言及されているセリフが多くある。
第3部主人公「空条承太郎」
道というものは自分で切り開くものだ。
第5部登場人物「ブローノ・ブチャラティ」
オレは「正しい」と思ったからやったんだ
後悔はない…こんな世界とはいえ
オレは自分の『信じられる道』を歩いていたい!
おまえが決めるんだ………
自分の「歩く道」は…………
自分が決めるんだ……
これらは自分の人生は自分が正しいと思ったことを「覚悟」し、行動すると言っているように感じます。
自分の歩く道は自分で作らなければならない。
それは他でもなく自分だけの人生だから。
しかし、これらと相反する考え方がジョジョの世界において、敵として現れます。
人は安心を得るために生きている
ジョジョにおいて最大の敵といえば、間違いなくDIOであろう。
このDIOの発言はジョジョサイドと真っ向に対する思想を反映している。
最もDIOの思想性が現れている発言はこれだろう。
「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」
名声を手に入れたり、人を支配したり、金もうけをするのも安心するためだ。
結婚したり、友人をつくったりするのも安心するためだ。
人のために役立つだとか、愛と平和のためにだとか、すべて自分を安心させるためだ。
安心を求める事こそ人間の目的だ。
戦いに敗れ、欲するものが手に入らなかった場合・・・
挫折感と敗北感を味わい傷つき・・・
そして、次なる戦いの時「恐怖」を感じることになる。
おれは「恐怖」を克服することが「生きる」ことだと思う。
世界の頂点に立つものは!
ほんのちっぽけな「恐怖」をも持たぬ者ッ!
この時点でDIOは「恐怖」を我が物とできていないと感じられる。
ジョースターの血筋が自らの脅威となると感じ、エジプトに身を潜め、スタンド使いを送り込む。
DIOは一番が好きであり、No. 1になりたい。世界の頂点に立ちたいと常に思っている。
しかし、それは価値の基準が自分ではなく、常に誰かと比較することでその価値を感じることができる。
DIOとは目標とするものが違うが、第4部のボスである「吉良吉影」にもDIOのような思想を伺うことができる。
この吉良吉影自分で常に思うんだが、強運で守られてるような気がする…
そして細やかな気配りと大胆な行動力で対処すれば…
けっこう幸せな人生を送れるような気がする…
クックックックッ…。
激しい「喜び」はいらない…
そのかわり、「深い絶望」もない…
「植物の心」のような人生を…
そんな平穏な生活こそ、わたしの目標だったのに…。
これらの発言も、人生の価値を自分以外に求めていると言っていいだろう。
ただ平穏に過ごす、そこに自分自身の強い意志は感じられない。
また、第2部のボス「カーズ」
どんな手をつかおうが…………
最終的に…勝てばよかろうなのだァァァァッ!!
第5部のボス「ディアボロ」
『キングクリムゾン』の能力では、この世の時間は消し飛び・・・・・・
そして全ての人間はこの時間の中で動いた足跡を覚えていないッ!
『空の雲は、ちぎれ飛んだ事に気づかず!』・・・・・・
『消えた炎は、消えた瞬間を炎自身さえも認識しない!』
『結果』だけだ!この世には『結果』だけが残る!
これらのように、目的のためならどんな手を使おうが関係ないという思想が敵にはあると感じる。
結果、ディアボロはゴールドエクスペリエンスレクイエムにより、永遠に過程を繰り返す「終わりがないのが終わり」という状態で終焉を迎える。
人間としての強弱
スタンドは精神力の具現化であるが、敵は総じて人間としての弱さがあった。(カーズは完全究極生命体となったが、人間性は感じられる)
敵にはどこまでも人間味があった。
というより、日本人らしさが非常に色濃く感じられた。
周囲と自分を比べ、目的は常に他人を意識していると感じられる。
それは本当の意味での「正義」とは言えないのではないか。
「正しいこと」にも様々あるが、荒木先生も言うように、本当に強い人は「悪いことをしない」のである。
争いは「正義と正義のぶつかり合い」によって起こるが、
そこで本当に勝つことができるのは、人間的に強い人だろう。
自らの利益を超越した「正義」を実行する者が勝者となる。
むしろそうなるべきである。
しかし、だからこそDIOのような人間らしさのある敵キャラが人気であることも頷ける。
ニヒリズム的ではあるが、自分の存在価値を見つけるための「正義」をDIOや吉良吉影などは実行していたのだろう。
人間賛歌がテーマのこの漫画には、我々が生きる手助けとなる思想が多く描かれている。
是非この機会にご一読されてみてはどうだろうか。
ジョジョの奇妙な冒険 全63巻完結セット (ジャンプ・コミックス)
- 作者: 荒木飛呂彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/01
- メディア: コミック
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