杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

ぶち壊さなければならない偏見。

偏見って本当になんなんでしょうね。

最近、毎日ブチ切れている気がするけれど、この世の中には自分の頭でモノを考えることができない人間がどれほどいるんだ?

 

今回問題になった大阪府の高等学校の頭髪指導。

完全にバカしかいねぇ。

そもそもこの時代に染髪を禁止すること自体が不自然極まりない。

黒髪至上主義なんて昭和の負の遺産だよ全く。

 

とはいえ、僕自身もかつては黒髪至上主義だったのだが、考えが変わった。

というよりは、世界が広がったために寛容になれた。

 

そもそも偏見を持っている奴はことごとく世界が狭い。

世界とは価値観と価値観の触れ合いによって広がる。

つまり、何かを受け入れることで世界は広がる。

 

それをいつまでも学校でクソみたいな価値観の押し付けをしているようじゃぁ世界は広がらないし、子どもも健全に育つことができない。

 

少し考えればわかることだ。

このご時世、外を出歩けば目に付く髪の色はバラエティに富んでいる。

大学生なんて大体カラフルヘアーじゃねぇか!

似合ってるかどうかは抜きにして、本人がそれで満足し、それに対して批判しない世の中がすでに蔓延している。

 

それなのにいつまでも学校(小、中、高)は教師の意味不明な価値観を押し付ける、バカ育成機関として現存している。

反面教師にするには丁度いいが、どうにも子どもは力がないので、抗うことも許されない。

意味もわからず、ルールだからの一点張りで、社会性も全くない謎の価値観を押し付けられる。

 

子どももバカじゃないから、三年間というゴールが見えている期間は納得はできないにしても一応はそのルールを受け入れる。

しかし、それはただ消耗したくないからだ。

大体の子どもは大学に入ると髪を染めれるから今は我慢と自分に言い聞かせるが、そもそもその境界線はなんなのだろうか。

一体そこになんの意味があるのか。

大学生ら髪を染めていいというルールがあるのか?

否、そもそもそんなルール自体必要ないのである。

 

そもそも、ルールとは何のためにあるのかを考える人は少ないのではないか。

僕にはそんなことはできないが、周りの人間をみているとどうしてもそのように思ってしまう。

ルールとは何か、それをまず考えなければならない。

ルールだから守ると本気で思っているのなら、本当に危険だぞ。

そこにお前の意志はどこにある?

一体お前は誰なんだ?

何のために生きている?

人生に目的なんてないと思っているのなら、かなりマズイ。

明らかに生きることに対して受け身になりすぎている。

 

人はなぜ生きるのか。

考えたことがない人や、答えがわからない人は見つけてほしい。

そもそも、答えは誰かに教えてもらうものではない。

教えてもらうものだと思っていたのなら、それは学校に洗脳されている。

 

中身のないルールは偏見を生む。

髪を染めている人は真面目じゃないなんてどう考えてもおかしい。

しかし、その偏見を生み出したのは、昭和の負の遺産である「狂った校則」であることは自明だろう。

 

そんな偏見を生み出すものは、この世に必要ない。

何がグローバル社会だ。

何が生きる力だ。

何が主体的、対話的で深い学びだ。

 

運用する大人が腐り切ってやがるのに、そんなもの実現できるわけがねぇだろ!

教育を変えるなら、まず変わるべきは大人だ。

 

いつまで子どもを子どもだと思ってる。

テメェらとは生きてる時代が違うんだよ!

触れる情報の量が段違いなんだよ!

技術革新はすべての在り方を変える。

その変化に対応できない大人は淘汰されるべきだ。

 

年功序列なんて幻想はもう存在してねぇんだよ!

いつまでもそんな幻想にしがみ付いて、若い優秀な芽を潰すんじゃない。

みんなが対等で、すべての意見は尊重されなければならない。

ただ、その中で最良のものを常に選択しなければならない。

不要なものは捨てなければならない。

これまでそうやって世界は存続してきた。

 

これまでの人生が否定されたような気になるのもわからんでもないが、その程度で否定されるような人生にそもそも価値はない。

だから、これから生き直せばいい。

どうすれば全人類、全生物が幸せになれるのか。

これは一人一人の課題だ。

考えろ。偏見をなくせ。

すべてをフラットにみたときに、そこに残るのは何なのか考えろ。見付け出せ。

 

批判を恐れるな。中身のない批判はバカのお家芸だ。

そんな奴に嫌われたところで、いずれ嫌われていたと思えばいい。

たまたまタイミングがその時だっただけだ。

これで僕のことを嫌うならばそれでもいい。

ただ、常に本質を見抜く努力はしてほしい。

人生とは、自分だけのものだ。

世界もまた、自分だけのものだ。

自分の世界を素晴らしいものにしてほしい。

そして、それを皆で共有したい。

世界は広くて美しいはずだ。