杞憂、はたまた核心。

思考の嗜好性を垣間見せ

結局「恋愛」なんじゃね?

さて、今回はBooks reviewとは別の記事を…。

実際、このままひたすら本の紹介だったら見る気も失せるでしょうしね。

 

というわけで、この世に生を受けたからには、皆さんの関心ごとのひとつである「恋愛」について一筆取らせていただく次第でござる。

いつもの堅苦しい(?)記事とはおさらばじゃ!

 

恋愛とは?

「恋愛」つまり、英語では「Love」、フランスでは「Amour」のあれである。

時には人に生きる活力を与え、はたまた、恋煩いのような恋の病と呼ばれる症状が出たり何かと人を翻弄してくるあれである。

あと、なんとなく見出しをピンクにしたんだけど、「恋愛」といえばピンクだよね!青とかのイメージだともはや冷戦状態だよね!(何を言っているかわからない)

とまあ、こんな具合で我々の日常に欠かすことのできないこの「恋愛」だが、20代前後の人々にとっては喫緊の課題である。

 

というのも、我々には母と父がいて、その二人から生み出されている。そうやって生み出された人々がこの世に大体70憶人もいるわけである。

一人の例外もなく、この世に生を受けているものは全てこの方法によって生まれてきた。

となると、意識はしていなくとも生物的に恋愛をし、子孫を残すことは至極まっとうなこととして受け入れられ、幼き頃から自分自身もいずれ恋愛をし、結婚をするのだと、遺伝子レベルで刷り込まれていてもおかしくはない。だから、人は恋と向き合い、恋に悩むのではないかと考えられる。

 

となると、目的はあくまでも「子孫繁栄」であり、「恋愛」は手段に過ぎないのかもしれない。

しかし、我々は「恋愛」に重きを置き、目的であるはずの「子孫繁栄」をタブー視しがちである。それは一体何故なのか…。

 

…くそう、当初書こうと思っていた方向性と全く違う疑問が生まれてしまったぜ…。

ちなみにいつものブログも書いているうちに問題意識が変わり、着地点の見えない内容になってしまっている…。思考のつながりはやはり無限大ですね。

 

何故「恋愛」に重きを置くのか。

しかし、せっかく出た疑問なので、掘り下げて考えてみよう。

ついでに、今度は見出しを水色にしてみたが、これはこれで「爽やかな恋愛」感が出ていいね。言うなれば高校生の恋愛って感じ?まあ、あんまよくわからんが、とりあえずパステルカラーだとなんだか大丈夫そうです。

 

さて、何故「恋愛」が重要視されているのかでしたね。目的が「子孫繁栄」であるのなら、特に恋愛をせずとも一気に目的に向かえばいいのに。

 実際、人間以外の動物は「恋愛」を必要としておらず、一夫多妻のような形や、繁殖を終えると食べられてしまう動物もいたり、生物としての目的を全力で果たそうとします。

しかし、人間だけが「恋愛」をし、また、それに重きを置いている。

人間が他の動物と決定的に違うのは、高度な知能の有無です。

人間は高度な知能を持ち、自らの生活をより豊かにするべく考え、創造し、非常に便利で効率のいい社会を形成してきました。

それなのに、この「恋愛」については、未だに非効率的であり、複雑であります。

なんなら、遥か古の時代の方が、この「恋愛」や「子孫繁栄」については効率的だったとも思われます。

実際に、一夫多妻制や夜這いも日常茶飯事だったと言われています。

これはなかなか興味深いですね。

 

ここで一つ仮説を立てるとすれば、知能が低いと「恋愛」を重視しない傾向がある。

ということです。

これはあくまでも仮説ですが、よくよく考えてみれば日常でもそのようなことを感じる人もいるのではないでしょうか。

また、現代に比べ、古代の方がIQが低かったのでは…と思いましたが、調べたところ、どうやら現代人のほうが古代人に比べIQが低いことがわかったようなので、この点については疑問が残ります。

環境や知識の差が大きいのでしょうか?

 

しかし、すべての人が知能指数が高かったとは考えにくそうです。

現代では、誰もが教育を受ける権利を有しており、ある程度の教養はほとんどの人が身に付けられます。

しかし、昔は教育を受けることができるのはほんのわずかな人であり、ほとんどの人々は教養がなかったと考えられます。

また、和歌には比較的「恋愛」について歌ったものが多いですが、それらはやはり文字を読み書きできた教養のある人のものであり、このことからも「恋愛」には多少の教養が必要だという仮説を立てることができます。

そう考えると、年々複雑化していくように感じられる男女の関係もなんとなく納得できるような気がします。

 

何故手段が目的化したのか。

せっかくなので色の三原色である黄色も使いました。特に意味はありません。

 

さて、ここまでくると、なんとなく「恋愛」が重視され、「子孫繁栄」が軽視されているのかが見えてきました。

まず、「恋愛」が重視されている点ですが、「子孫繁栄」のきっかけ作りとして「恋愛」という感情が生まれるように遺伝子に組み込まれていたものが、どうやらそれ以上の価値を見出した者が現れ、深く掘り下げてみると、また、感情を揺さぶられるような体験を発見し、その繰り返しがまた遺伝子に組み込まれ(もしくはミームとして人々に伝わり)、現在のようなスタイルになったのではないか。

全く何を言っているかわからないが、俺もわからない。ただなんとなくニュアンスをくみ取ってくれ…。

 

とにかく、手段として用意された「恋愛」だが、その目的である「子孫繁栄」を達成する為に、とにかくステータスを大幅に振り分けたと考えてくれればいいのかもしれない。

つまり、目的である「子孫繁栄」は、必ずしも達成しなければならない目的なので、その入り口である「恋愛」に食いついてもらうために、かなりの餌をばらまいたといえばわかりやすいかもしれない。

入り口を非常に多く設定し、誰もがそこに達することができるような仕組みを「恋愛」に組み込んだのだ。

 

それゆえ、楽しみの幅が非常に多く、知識・教養のあるものは、その魅力に気づき、いつしかその魅力が重要視されるようになったのではないか。

我ながらなかなかの考察だと自画自賛している。

 

そんな中で知能の低いものが、目的である「子孫繁栄」を達成している様を見ると、なんだか軽蔑したくなる気持ちになるのも不思議ではない。「恋愛」の楽しみを知らずに目的だけにしか目がないのは愚かだと思うのも無理はないかもしれない。

 

また、生物の目的である「子孫繁栄」は、その重要性から鑑みて、とてつもない快感を得ることができるのは理にかなっていると言える。

もしもこれが苦痛であれば、人類はとっくに滅亡しているだろう。

なので、快楽に溺れる人々を見た知識人が軽蔑をするのも、無理はないと考えられる。

その考えがミームとなり、現代に伝わっているのではないか。

 

真相はわからないがそういう可能性もある。

 

すっかり着地点を見失う。

さて、とりあえず一旦ここで考察を終えたいが、ふと、もう一つ仮説を思いついたので、もう少しだけお付き合い願おう。拒否は受け付けん!!

 

もう一つの仮説とは、現代が科学で解明されていることが多いという部分にある。

我々が生きている現代は、ほとんどの現象が科学によって解明されている。

しかし、人の心というのはいつの時代もわからないものだ。(心理学は発達しているが、完全ではない)

そんな何事もわかる現代において、身近なわからない「恋愛」は魅力的に写るのではないか。

もともと人は知的好奇心を有しているが、現代のような「わかる」時代では、積極的に物事を考えることが少なくなっている。

教育界でも非常に問題視されているが、知的好奇心が完全になくなったわけではないということは、「恋愛」の存在が証明してくれているのではないかと思う。

 

人は「恋愛」をし、それに悩まされる生き物であり、そこで学びを得る。

なるほど、「恋愛」をしている人の方がなんとなく深い人間のように感じるのもこれが所以なのかもしれない(しかし、幸せな恋愛に限る)。

 

そうとなると、人々がまずしなければならないのは「恋愛」なのではないか?

義務教育に「恋愛」を組み込むべきである!

実際に学生時代に「恋愛」ができなかった友人はなんとなく苦しんでいるように感じるぞ!

今後、そのような人をなくすためにもみなさん、積極的に「恋愛」をしましょう。

なんとなくタイトルにあった終わり方ができたので良しとしよう。

 

ではまた。

 

次は「恋愛」の攻略方でも書こうかな。(需要なし?)

いや、そもそも攻略できるほどの実力はないか…。

「恋愛」(入門編)にしよう。そうしよう。

 

ではこうご期待!!