東京。
いつも、よくわからない話をされて、このブログを見ることへの意欲が削がれている方々、多数いらっしゃるでしょう。申しわけない…。
今回は方法論ではなく、ただただ行ってきたよ、そして、何を思ったかを書くので、割と普通のテンションで読んでいただけると思います。
さて、今回東京に行った理由は他でもなく、現在Twitter上で、かなり話題の「ブラックボックス展」にどうしても行きたいと思ったからである。
内容は一切知らされず、展示のネタバレなどもなく、ただただハッシュタグ「#ブラックボックス展」とともに投稿されたおぞましいポエムのような内容がある限り。
ブラックボックス展とやらがすごく気になる。入場者の選別があるらしく数時間並んで入口まで辿り着いても入れないことがあるらしい。行ってみたいけど精神崩壊する気しかしない。 pic.twitter.com/9xhyiBHst2
— AKOHaL (@akohalxox) 2017年6月15日
#ブラックボックス展 に行ってきた。“知ってしまうこと”がこんなにも恐ろしい事だと知らなかった。
— ❍COM病愚 (@21stC_schizoid) 2017年6月16日
..深淵から覗いているのは自分だ。恐怖と孤独で包まれた。それなのに心が高鳴る自分もいた。
入った瞬間に絶望を感じて、それでも進んだ先にふと全てを理解できた瞬間があった。
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入った瞬間は不安で仕方ない
— hinaco (@___justdoit_) 2017年6月16日
出てきた時は本気で笑ったけどそれと同時に少しイライラもした
なかのひとよ、最初からあなたの立場にいたらとても世界が滑稽に見えて面白かったでしょう、私ももう加害者ごめんなさい#ブラックボックス展
謎だらけであるが、どうやらとんでもないことがこの場で起こっていて、価値観を揺さぶる「なにか」がそこにあるのだと感じさせる内容である。
また、この口コミがさらに人を呼び、展示は連日大盛況で、日に日に入場者は多くなり、ついには入場待ちの列が、周辺住民への迷惑だということで、警察の指導が入る始末。
謎が多いが、どうやら本当に凄いのでは?と感じさせる。
というわけで居ても立ってもいられなくなり、有休を火曜日に一日取得し、月曜日の夜行バスで東京に向かった。
もちろん月曜日も水曜日も仕事はあったが、そんなものは関係ねえ。
というわけで、あわただしく準備をし、月曜日の23:30に梅田から出発し、翌朝6:45に池袋に到着。
夜行バスで隣の席の人が明らかに1.25席分ほど占領し、僕は0.75席分ほどしか陣地がなかったが、その割には結構寝れたので、まあ結果オーライ。
しかし、東京は生憎の雨。これを見越して傘を持ってきていた自分を褒めてやる。
東京の朝は不気味だった。ただ暗いことで不気味だったというよりは、人がいないことに違和感があった。
これは都会だからこその感覚だったと思う。
不気味な空間から抜け、少し駅に近づくと人が少し増えてきた。
僕はとりあえずシャワーを浴びたかったので、池袋にあるネカフェでシャワーを浴びることにした。
どうやら初回利用は一時間100円で、シャワーも借りれるらしかったのでおススメである。
この時点で時刻は8時過ぎ。本当にノープランで来たので、特にやることもない。
なので、とりあえず国会に行くことにした。国会を一度見てみたかったから。
ということで、池袋駅で「東京メトロ24時間乗車券」を購入し、「国会議事堂前」駅を目指した。
早速電車に乗り込もうとしたが、殺人的な通勤ラッシュがそこにはあった。
電車の込み具合もすさまじく、カバンは前で持つのがデフォルトのようで、もはや家を出た時からリュックを前で持ってるんじゃね?と思うほどであった。
しかし、それ以上に驚いたことは、下車駅から乗り換えるときに、皆走っているのだ。
もちろん、僕自身もそんな経験は大いにある。大学時代なんてよく駅から駅を走ったものだ。(慣れると走ることをやめ、意識は遅刻する方向へシフトする。)
その光景を見たとき、人は誰の意思でもない、時間に支配されているのだと感じた。無論、そのことに気づくきっかけは、これまでに何度もあっただろう。
しかし、そのことをどこか当たり前に感じ、そういうものだと思っていたのかもしれない。同じような光景は、もちろん大阪にもある。
だが、その同じものを、今回は違う場所で感じ、異なった視点から見たことにより、「気づき」があった。
駅構内で走って乗り換えをしているサラリーマンも、朝帰りのギャルも、遅刻しがちな大学生も、特に急ぐ予定のないフリーターも、きっとそのことに気が付いていない。
当たり前のように流れる日常に、「気づき」を感じるときは、必ず視点を変えなければいけない。
また、この「気づき」は僕を次のステージに導く重要なカギにもなるのだろう。
このことだけでも東京に行った価値があったと思った。
さて、そんなこんなで国会に到着。驚いたのは、警察の数が段違い!護送車だらけであり、50メートル間隔に一人はいたんじゃないかな。
なにも悪いことはしていないのに、謎の緊張感に包まれる。
とりあえず国会を生で見た感想は、でかい・立派・緊張感であった。あそこは精神衛生上あまりよくない。
時刻はこの時10時前であり、朝、池袋に着いたときにたまたま目に入った「もうどく展」に行こうと思っていたので、池袋に戻った。
これに行こうと思ったのも、いつかSNS上でこの展示を知ったからである。
そんなことを考えていると、自分の行動は情報に支配されているなと感じるね。
さて、肝心の展示だが、朝早く、平日だったこともあり、人はほとんどおらず、ゆったり周ることができた。
他にも蜘蛛やワームのような、いかにも毒がありそうなやつや、スカンクや鯉など、あまり毒性があるとは思えないような生き物もいた。
展示自体はそこまで多くはなかったが、なかなか満足のいく内容だった。
この展示と同じ場所で、プラネタリウム「ナオト・インティライミ 僕らが空を見上げる理由」が開催されていたが、今回は行かないことにした。
時刻は12時前。
この時に、この旅のメインである「ブラックボックス展」についてツイートが更新された。
さて、これはどうしたことか。
せっかく東京まで来たのに入れない可能性があるだと…。
なかなか鬼畜だが、とにかく2時頃に現地に向かうか、と思い、とりあえずなんとなく表参道に行くことに。
表参道には勝手におしゃれなイメージがあり、とりあえずおしゃれなランチを食べるしかねえと思っていたので、なんとなくおしゃれな雰囲気のところに行ってみた。
おしゃれ慣れしていない僕は、何を頼めばいいかわからないので、他の人を観察し、注文している人が多そうなものを頼むことにした。
これがいけなかったのだが、このときは知る由もなかった…。
注文したものは「シンガポールライス・フォーセット」。
そもそもシンガポールライスも、フォーも食べたこともないし、存在すら知らなかったが、とにかくトライである。
見た目はおいしそうというかおしゃれで、いかにも女子が好きそうな感じである。
さて、いざ実食…。
…味がしねえ!!
生春巻きは食感のみ。フォーは味がない味がしている。シンガポールライスは何で食べればいいのかわからん!そもそもこのソースの役割は!?
とことんおしゃれ慣れしていない。食べることがほとんど苦行だった。パクチーが鼻に刺さる…。
こんなことならチキンクリスプ12個買ったほうが幾分か幸せな人生が送れただろう。
もうおしゃれには惑わされんぞ…。
なんとか食事を終え、しばし携帯の充電をしながら次の予定を考えていたら、13時頃になった。
次なる行先が決まった。「ka na ta」に行こう。
というわけで、電車に乗り込み「代々木公園」へ。
GoogleMapによると、駅から少し歩くが仕方ない。雨の中店舗を目指す。
店舗は住宅街にあり、周りに何もなさ過ぎて本当にここであっているのか心配になるほどだった。
ここかな?と思ったところにとりあえず入ってみると、どうやら正解だったようで安堵した。
しかし、どうやらまだ営業時間前だったみたいで少し変な感じになってしまったが、大丈夫と言ってくれたので、結果オーライである。
店内は凄く落ち着く雰囲気で、ぜひとも一度行かれることをお勧めする。
もちろん、服自体のクウォリティも良い。
結局、二着買うことになり、最近作ったクレジットカードで買ってやろうと思ったのだが、どうやらVISAとMasterCardしか使えないらしく、JCBで作った僕は泣く泣くコンビニでお金を降ろすことになった…。
無事購入を済ませ、店を後にしようとしたが、居心地が良かったので、そのままカウンターに腰掛け、店員のカルロスさんと世間話で盛り上がり、結局、一時間半ほど滞在してしまった。
まぁ、楽しかったので結果オーライである。
時刻は15:30。
店を後にし、六本木へ向かう。
その時、就活で東京に来ていたSくんから連絡があり、中目黒らへんで会おうと言っていたのだが、僕の予定が狂ったので、結局会えずじまい。すまない。大阪で会おう!
そして、結局16時頃に六本木に着いたのだが、なかなかの長蛇の列。雨が降っているのに。
とりあえず最後尾を目指し歩みを進めるが、なかなかゴールが見えない。
結局、六本木中学校前まで列が伸びていた。その長さは約150メートル程。
校門から出てくる中学生は、謎の列に興味津々で、訳がわからないようだったが、当然の反応である。普段ではありえないことがそこで起こっていたのだから。
そんな感じで並び続けること約一時間。とうとうゴールが見えてきた。
入り口前には屈強そうな黒人。なかなかの厳つさである。しかも、見る限り5人に2人くらいは入場を断られているようだった。なかなか緊張する。
ドキドキしながら入れることを祈り、とうとう順番が来た。
その様子がちょうど撮影されていたので結果は動画を見てもらおう。
ちなみに僕は前から5人目の全身真っ黒野郎です。
保存版 pic.twitter.com/GdMvpb8iDo
— りょーた (@1mn_ryota_raiv) 2017年6月18日
おわかりいただけただろうか。
そう…しっかり弾かれているのである…。
わざわざ東京まで行ってこの仕打ちはないだろうと、一瞬思ったが、意外と心はすがすがしく、自分には入る必要がなかったんじゃないかと思えた。
というわけで、「ブラックボックス展」のために東京に行ったが、結局目的は果たせなかった。
しかし、それもまた経験であり、そこに行った自分しかわからないものもあるはずだと思い、それすらも気づきであった。
結局、自分が信じたいもの、見たいもののために行動した時点で、それはかけがえのない経験であり、気づきであるのだと改めて感じた。
※現在「ブラックボックス展」のネタバレが解禁されて、賛否両論出ていますが、やっぱりその場に足を運んだ時点で、自分の中で答え合わせは既に終了していたのだと思った。
その後は、東京にいる友達のAくんと池袋に飲みに行き、近況を話し、楽しい時間を過ごすことができた。早く大阪に戻って来いよ!
そのまま池袋発のバスに乗って帰った。いや、その前にauスマートパス会員限定のミスド200円券を、相変わらずの乞食マインドを発揮し、池袋のミスドでドーナツを買って帰った。
帰りのバスは行きよりも少し広く、隣の人も華奢で、疲れも半端じゃなかったので、ぐっすり眠ることができた。
途中のSAでの休憩すらも起きられないほどには疲れていたね。でも、おかげで大阪に着いたときはあまり眠くなかった。
大阪には水曜日の6:15に着いた。
すごく長い一日だった。得るものもたくさんあった。
感じ方は人それぞれだけれど、できるだけ肯定的でいたいよね。
目に見える表面上の内容を鵜呑みにして、本質を捉えようともせず、「匿名」に守られ攻撃する。愚かで醜い。
それには教育が間違いなく必要だと思える。
そう感じながら、また僕は働こう。
そんなことをその時は感じていたかはわからないけれど、心意気は大切だね。
大阪の朝は綺麗だった。朝は全てがリセットされ、そこからスタートするからか、浄化されている感じがした。
これも、今回東京に行ったことで感じることができたことだ。
人生には「気付き」がたくさんある。すぐそばにあるものは、自分に新たな気付きを与えてくれるものなのかもしれない。
当たり前と感じているものから、まったく新しい「気付き」があるかもしれない。少なくとも僕はそう感じている。
行動や経験はいつでも人生を彩ってくれるはずだ。
後は「気付く」ための勇気が少しいるだけ。
一度しかない人生。どうせならカラフルになれればいいと思う。
暗闇から光を見つけ出そう。
真実の必要性。
真実とは。
嘘やいつわりでない、本当のこと。まこと。真実は事実と同様で、皆が一致する一つの場合もあり、人それぞれに複数存在する場合もあるが、一般的には、他者との関係性を前提に社会で合意して共有できる皆が一致する、より公的で社会性を有する事柄を真実と言う。人間は社会を構成する前提がある社会的動物なのであり、真実は真実でもある事実の提示や自明な範囲で皆で一致し、共有されるべき事が求められる対象であるが、私的かつ個人的な範囲では他者と一致していなくても、その人物の主観という範囲での合意として真実と言えるが、人間が社会的動物として生きると言う前提がある以上、その趣での真実は他者との社会的な関係性の中で個人的な主観が許されない場合は真実ではなく、相手から見れば嘘ともなりえる危険性を孕んでいる。
なんだか回りくどい表現ではあるが、要はこういうことである。
- 皆が納得できるような根拠や事実の提示があり、それが疑いようのない場合。
- しかしながら、主観的な真実もあり得る。
- しかし、その場合は、嘘だと思われることもある。
といったところだろうか。
現在、我々が「真実」という言葉の意味を思い浮かべるときは、一番上に書いた内容のことを思い浮かべるだろう。
この「真実」という言葉の共通認識こそも、「真実」であると認めることができる。
常識なんてものも、ある程度の共通認識があることから、「真実」のように捉えることができるだろう。
しかし、それだけが真実ではない。
上記したように、主観の範囲で、その人が「真実」だと思っていることは、その人の中では「真実」であり、また同時に、客観的な「真実」がその人にとっては「嘘」となることもあり得る。
言っていることがよくわからないのは、まだあなたが常識や普遍的な概念である「真実」を疑ったことがないからである。
芥川龍之介の『藪の中』という短編をご存じだろうか。知らないという方は青空文庫にて読むことができるので、ぜひとも一読していただきたい。
複数の視点から同一の事象を描く内的多元焦点化(ジュネット)の手法がとられ、殺人と強姦という事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白する証言の束として書かれており、それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されている。その未完結性の鮮烈な印象から、証言の食い違いなどから真相が不分明になることを称して「藪の中」という言葉まで生まれた。
この物語では、当事者三人の証言が、それぞれ矛盾することにより、真実がわからない、という趣旨のものであり、実際、私も初めて読んだときは衝撃を受けた。
ここで扱う真実とは、共通認識による真実であるが、当事者三人にとっては主観に基づく真実を懺悔していることに過ぎず、誰かが嘘を言っているわけではないのである。
私は当初、三人のうち誰かが認識を誤ったと思えるようなトリックが文章中に隠されているのだと思っていたが、そもそも真実というものの見方に、絶対的な信頼を置いていたからに過ぎず、認識を誤っているのは紛れもなく自分自身だということに気が付いた。
何を言っているかわからないだろうが、そもそも真実なんてものは最初から自分の中にしかなく、それを誰も知り得ることはできないのである。
現代では、インターネットが発達し、科学で解明できることも増え、それが共通の真実だという思い込みの中で人々は生活している。
真実だと思われているものは、客観的に観測することができ、人々の中で感覚を共有できることから真実だと思われているだけに過ぎず、それは絶対的ではない。
それでも人は真実を追い求める。
では、真実を真実足らしめるものはなんなのか。
それを皆が見つけることができれば、人類、否、この宇宙全体の生物は幸せになることができるだろう。
世界はあなたであり、私であり、それは宇宙でもある。
見る角度を変えれば、丸が三角にも四角にもなり得る。
人は答えを求めるが、他人の手垢に塗れた答えは、あなたを本当に幸せにするだろうか。
Share the World.
この世界で生まれたものは常に共有され、改良され続けている。全てのものが繋がり、それらを組み合わせ、また新たなものが誕生する。
それは遥か昔から行われていたことであり、特に日本という国ではそれが顕著である。は
しかし、情報化が進み、世界のどこにいてもこの世界で起こっていることが可視化されるようになった。それは、これまででは見えていなかったことまで見えるようになり、また、ものの生まれ方も新しくなった。
そんな時代であり、テクノロジーは我々の想像を超え日々進化している。しかし、そのテクノロジーを運用している我々がその進化に追い付いていない状況をよく目にする。
インターネット上で見かける「〇〇は△△に似ている」、「××は□□のパクリだ」などといった文面を誰しも一度は見かけてことがあるだろう。
そもそも、これまでの産物は所謂パクリから生まれたものである。何一つとして例外なくゼロから生まれたものはないだろう。
宇宙の誕生の大爆発であるビッグバンは無から突然起こったと言われているが、我々にそれを観測できる術がない以上、真実はわからない。(もっとも真実はいつだって主観でしかない)
そのように先人たちは別分野の物事を組み合わせ、新たなものを創造し続けた。
いつだってどんな時にでもパイオニアはいた。しかし、それは優劣ではない。
現代では誰もがパイオニアになることができる。誰かがやるのではなくあなたが、私が、自分がやるのだ。
この情報過多のカオスから、ピースをつなぎ合わせ、学び、気づかなければならない。
すべての事象は必然であり、世界に映るものはメタファーである。
今こそ常識を根底からひっくり返し、既存の概念のアップデートが必要である。
一度世に出たものはミームとなり、共有物となる。
発信した時点から所有者はそれを観測した全ての人々であり、発信者だけのものではなくなる。
考えてみれば簡単なことだ。あなたがオリジナリティーだと思い、発信したことも、自分以外からミームを受け取り、取捨選択したうえで、手垢にまみれた自己アレンジを加えて世に放ったものだから。
無論、私が綴るこの文字列も何かの影響を受け、選び、アレンジを加えたものに過ぎない。
私も以前は自身の写真を無断で使用されていたことに、どこか気分を害していたが、それはその事象の受け取り方一つで変わるものであり、私は当時「無断転載禁止」などのミームによってその価値観が形成されていたことに他ならなかった。
集団が知覚していることは違うようで同じであり、他人は自分であり、自分は他人である。我々は世界の中心に立っているのではなく、球体のフィールドにまばらに散らばっている内の一つに過ぎない。
個人がそこに存在しているのではなく、この宇宙に存在しているあらゆる有機物、無機物が、一つの生命であるかのようである。
哲学と心理学を大切にしてきた意味が分かったような気がする。
今こそ世界の見方を変え、学び、気づき、再構築することが求められるだろう。
変容と繋がり、経験の意義。
最近、体験や経験に対しての接し方や価値観が変わってきた。
以前であれば、体験や経験にそれほど価値を感じることがなく、ある程度のことは情報で賄えると思っていた。例えば、煙草を吸うと肺がんや疾病のリスクがあがるということは、実際に体験しなくてもある程度理解できる。
体験や経験が大切だからと言って、煙草を吸うつもりは微塵もないが、その他多数ある未だに体験・経験したことのないことをどんどんやってみようと思うようになった。
では、何故そう感じるようになったのか。これは今まで経験することをどこかで拒んでいた理由を話せばわかりやすいかもしれない。
これまではやらないことに理由をつけて、自分を守っていたように思える。例えば、お金がない、時間がない、しても意味がない、もっと楽しいことがあるはず、などなど、主にマイナスのイメージを勝手に作り上げていたんですね。
知り得る情報は主にネット。流行に乗るだけなのはなんだかダサい。そんな風に思っていたのかな?とにかくひねくれていたんですね。
あたかも論理的に批判しているようで、内心自分でも詭弁であることを感じていたのかもしれない。やらないことで自分を周りとは違うと思いたかったのかもしれない。
大学時代はそれが顕著だったかな。未成年なのに飲酒・喫煙。クラブで遊び呆ける。頻繁に開催される飲み会。そんなイメージが根強くあったのも原因かもしれないが、多分それについていくことができなかったんだろうね。
今思うと高校時代と大学時代の差はそこで、高校時代は高校生らしく楽しいことを何でもやっていたし、周りも巻き込めていた。
だけど、大学ではそれができなくなって、どんどん自分の殻に閉じこもっていったように感じる。もちろん、当時はあまり毎日が楽しいと感じられなかった。
今になって過去を振り返って思うのは、やっぱりある程度起こり得る現象には原因があったのだなと感じた。まあ、今となってはその原因ってものの考え方が変わってはいるのだけれども、その話はまたどこかで。
原因はやはり環境の中に自分を置いたときに影響するものであって、環境を主体として考えている以上、その中にいる自分にも影響が生じることは明らかだった。何言っているかわかんねえな。うまく説明するにはもっと前の段階から話さないといけないけれど、今日のところはこのままで理解していただけると幸いである。
とにかく、周りと自分をどこかで無意識に比較していたのかもしれない。また、過去の自分とも比較していたとも思う。
でも、結局この比較には何の意味もなくて、他人は自分と違うのは当たり前だし、自分自身の価値観も時間とともに変化していくものだと思う。
僕は大学時代、高校の時が一番人格が優れていた時だとずっと思っていたし、公言もしていたが、それは変わることを恐れ、過去の価値観にしがみつこうとしていたのだと思う。また、そんな自分の価値観にわずかながらも自尊心があったが、その価値観が大学時代の自分の中に宿っていたとはとてもいいがたい。
いうなれば、そこにあるはずのものがなく、自分は空っぽで、まさしく自我がない状態であった。当時、僕に関わっていた人たちには、いつも自我がないと言っていたが、その正体がこれである。
新たな価値観を受け入れようとせず、しかし、それでも環境は変わり、無理にでも自分を変えなければならなかった。その結果、周りは見えず、自分のことばっかり考えるしかできなくなっていた。人生で一番ダメな時期だったね。
さて、そこで話は冒頭へと戻るのだが、結局何故大学時代に新たな価値観が形成されなかったかというと、何もしなかったからである。
その場に立ち止まり、傷つくことを恐れた結果がそれであり、自分も他人も傷つけてしまった。要は何もしてこなかったから、自信がなかったんだろうね。だけれど臆病な自尊心はそこにあった。まさに『山月記』の李徴さながらである。
そんな僕に転機が訪れたのは、やはり環境の変化だろう。自分自身も周りも働きだし、情報もそれほど入ってこなくなった。大学時代はどんな人でもある程度自分の好きなことだけを好きな時間にやることができていたし、俗っぽい物事が日々溢れていたが、社会人となるとそんなものは見る影もなくなってしまった。
もちろん僕も大学時代に比べれば時間も無くなり、多少忙しくはなったのだが、だからこそ自分と向き合い、時間を大切にしようと思えるようになってきた。
それと同時に、日々楽しく過ごしたいとも強く思うようになったし、まずは自分を自分が満たしてあげないと、他人を満たすことなんてできないとも思った。
幸い仕事は休みが多いので、とにかく休みは楽しいことをしようと思った。そうしているうちに、なんでもやってみることが大切だと気付いた。やらない理由を探すことは簡単だ。この世に完璧なものなんて存在していない。否定することなんて簡単にできる。
だからこそ、世間的にいいイメージを持たれていないことや、法を犯すこと以外はなんでもやってみようと思った。やる人が一定数いるものは、やはり何か楽しいことがあるからだと前向きに考えるようになった。
物事の捉え方も世界の見え方もいつだって主観的だ。だからこそ、自分の意識次第で捉え方も変えることができる。そこに他人の意見なんて関係ない。誰がどう感じるかではなくて、自分がどう感じるかが大切だと思う。
このブログもそんな感じの理由で始めてみた。実際、誰がどのくらい見てくれていて、何を感じているのか知る由もないけれど、自分の言葉を伝えないよりはましだと思うし、それで悪く思われたとしてもそれはそれでいい。信じるしかない。
僕は世界の全ての事象が繋がっていると思っていて、その繋がりをより感じられるのが、体験や経験であると思う。
寺山修司は『書を捨てよ、町へ出よう』という作品を世に残したが、まさにその通りだと思う。知識だけつけて頭でっかちになり、何でも知った気になっているだけでは、それらを活用できない。
なんでも経験してみると、思っていたことと違ったり、目的とは違った思いがけない発見もあるものだ。
それを繰り返していくうちに、繋がりを実感できるんじゃないかな。こればっかりは暗黙知なので言葉には表せれないが、とにかく言えることはなんでもやってみることだ。WANIMAじゃないけれど。
最後に、京都の将軍塚青龍殿に行こうとしたら、思いがけなくいいスポットを見つけることができたときの写真を載せます。
実際に行動してみて発見することもあるんだなって実感を増やしていくことが大切な気がするよ。静かでいいところだった。
雨と無知と温故知新。
はろー。いかがお過ごしでしょうか?
毎日天気が良くていい気分だけれど、とうとう明日天気が下り坂みたいだね。梅雨のシーズンホント勘弁してくれよ。
晴れていたら出かけて写真を撮ったり、陽気を感じたりいろいろできるのになあ。
しかし、そもそもなんで雨の日が嫌なんだ?まあそりゃあいろいろあるだろうけど、髪の毛が湿気で終わったり?服が濡れたり?傘ささないと濡れちゃうし?そのさしてきた傘を盗む輩もいるし?雨の日は人間の心まで曇らせるのでしょうかね?
そんな現代ではあまりいい印象を持たれていない雨ですが、昔の人はそんな雨に思いを馳せ、風流に歌い上げていたものです。
おほかたに さみだるるとや 思ふらむ 君恋ひわたる 今日のながめを
(あなたはこの雨を普通と変わらない五月雨だと思っているのでしょうか。あなたを想う私の恋の涙であるこの雨を。)
なんとも言えぬ奥ゆかしさ。現代ではあまり見られない感覚ですね。また、「ながめ」が「眺め」と「長雨」の掛詞となっているのも趣深い!
しかし、何故このような雨との向き合い方が現代では見られないのでしょうか。
雨が映える情景はやはりなんといっても自然のある場所だと思います。となりのトトロのような田舎の風景や、日本庭園にもぴったりじゃないでしょうか。
しかし、現代ではそのような場所はほとんど生活圏には存在しておらず、都心部に住んでいる人はなおさらだと思います。コンクリートジャングルに降りしきる雨に、美を見出すことは困難でしょう。さらに都心部では時間の流れも速く、建物の中では晴れでも雨でも天気を感じることはほとんどないので、雨は生活を不便にしてしまう現象ととらえられているのではないかと思います。
それは、悪いことではなく自然の摂理だったのかもしれない。便利になったことで恩恵もたくさん受けていて、それによって淘汰されたものも数多くある。雨に趣を感じないようになったのも、またその淘汰されたものの一つでしょう。
雨だけでなく高度情報化社会の現代では、流行のサイクルが非常に早く、欲望を求め、生き急いでいるように感じる。いつでも、どこでも、だれでも、どんなことでも、そこに制限はなく、求めた欲求が叶う時代です。
雨が降っていると外出できないなんていうことは現代では考えられません。公共交通機関は雨でも利用できます。非常に便利な世の中ですねえ。
昔のように雨に思いっきり濡れて遊ぶなんてことももうできないのかもしれない。それはそれでなんだか寂しいような気がする。
便利になり、物事がどんどん普遍化していき、そのなかで失われたものもたくさんあるが、それらは本当に失われていいものなのか私にはわからない。今までの歴史を辿ってみると、このような進化の過程で淘汰されていったものももちろんたくさんある。しかし、現代では過去の歴史が示すような進化の過程を辿っているわけではなく、そのサイクルが非常にハイスピードである。
十分に取捨選択する時間さえも与えられないままに情報が非常に溢れている。その上社会は人々に普遍性を求める。それじゃあ自分でものを考えることなんてできないし、個性なんて芽生えるわけもないよね。
こんな時代だからこそ「古きを温め、新しきを知る」必要があるんじゃないでしょうか。やっぱり孔子はすげえな。紀元前6世紀から現代まで通じる教えを説いていたんだから。それを知るだけでも学校教育で歴史を学ぶ意義があるんじゃないかと思うよ。
当初書きたかった着地点とは少しずれてしまったが、これはこれで大事なことだと思う。こんなことを偉そうにいってはいるが、私自身雨は嫌いだ。やっぱり晴れていた方がいい景色だし、何より快適だからだ。だからといって、「晴れが好きだから雨は嫌い」という考え方になっているような気がしていた。雨乞いなんて言葉があるくらいだから、雨を望んだり、雨が好きな人も必ずいるはずである。
今まではそこに気づいていなかった。また、雨が嫌だと感じている理由の大部分は不便だからである。まさに現代の負のスパイラルに毒されているなと思った。
そのことに気づいたときなんだかだせえなという気分になったし、そんなことで毛嫌いするのももったいないと感じた。だからこれからは雨を肯定的に捉え、雨の日だからこそ感じられるものを見つけていきたい。
もちろん雨のみならず様々なことに気づき、見えていなかった側面に気づきたい。
知らなかったことを知るためには、まず自分が何も知らないという自覚をもって物事に接しなければいけない。世界はいつだって主観的で、自分から見えているものや現象が全てではない。だからありとあらゆる見え方が存在していることを念頭に置かなければならない。
これは意識しないと難しいかもしれないが、意識し続けているとそれは習慣となる。マザー・テレサもこのようなことを言っていたらしい。
ちなみに知らないことを知る、いわゆる「無知の知」はソクラテスの言葉であるが、これは私の座右の銘である。
さらに付け加えると、孔子の言葉にも「知らざるを知らずとなす これを知るなり」というものがあり、儒学が教養として身につけていた時代があったことには納得である。
とにかくものは見方ひとつで見え方が180度変わることもあるということだ。
ことわざにも「急がば回れ」や「急いては事を仕損ずる」、「善は急げ」など、急いでいることの捉え方がこれほどまでにも異なった表現があるように、ものを見る角度によってそれに自分がつける意味合いはどうにだってなるということだ。
悩みだってものの見方次第でどうにでもなるものがほとんどだと私は思う。
大事なのはその現象に対してどのような意味づけを自分がするかである。
誰かが基準ではなく、自分が基準である。こんな普遍的な時代だからこそそれに抗ってみるのもいいかもしれない。一度しかない人生、自分の人生を生きなきゃもったいないぜ。これは自分にも言い聞かせます。
人生は選択の連続だ。変わらないことも変わることも選択の結果。ただなんとなく流されて生きるんじゃなくて楽しみましょう。
まだまだ若い。これからの若い世代が時代を変えなければいけない。そのために私は今日も思考の指向・嗜好・志向性を垣間見せます。
結構いい頃合いで着地できた感があるので、今日はこの辺にしといてやるか!!
なんとなく思ったことを書き出したけれど、意外と書ききれるもんだな(笑)
それではまたの機会に!
P.S. auスマートパスプレミアムの毎日もらえる!で、火曜日はミスドの200円券なのですが、今日21:30頃に22時まで営業している店舗にワクワクしながら買いに行ったら、閉店していました…。悔しい…。
長くなったが最終章…。(ヒッチハイク最終日)
またしても更新期間が長くなってしまったぜ…。
1つの記事がバカみたいに長くなってしまうから、億劫になってしまった感が否めない…。
申し訳ございませんでした!!
というわけで、春休みに行ったヒッチハイクの記録、最終章!完結編です!
いや〜、長かった。三月末に行ったので、一ヶ月以上完結までにかかってしまったが、ようやく終わりですので、お付き合いよろしくお願いします!
前回、前々回はこちら!
さて、三日目がスタート!
〈起床〜博多、天神〉
旅の三日目、疲れはピークである。
しかし、ここ二日間ろくな観光もできていなかったので、昼頃まで博多、天神をちょっとうろつくことにした。
もっとも、私は行きたいところがあったので、もともと観光(?)はする予定だったが、それ以外は全くのノープランであった。
とりあえず朝は10時にホテルをチェックアウト。疲れてはいたが、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまうことはなく、福岡PARCOに行くことに。
PARCOのトイレにて、幾分か身体を身軽にする儀式(脱糞)を行い、いざ出陣!と行きたいところだったが、なぜか一緒に行った後輩が迷子になっていた。
出鼻をくじかれたが、とりあえず合流を果たし、行きたい店も行けたので、次はVIOROへ!
PartiRというセレクトショップで物色していたところ、謎の紐に木がついたようなアクセサリー的なもの(ナンノコッチャサッパリ)があり、なぜかそれに惹かれてしまい購入。
どうやらベルトのようなのだか、ベルトとしては使ったことがなく、もっぱらこのように使用している。
まぁ、店員さんもファッションにルールはないと言っていたし、多少はいいでしょう?
というわけで、満足のいく買い物もできたので、博多といえばラーメン!
はい、ラーメン行ってきました。
とりあえず近くのラーメン屋に入ろうぜ!ということでGoogleマップで検索した結果、徒歩3分ほどで行けるラーメン屋があり、レビューも良かったので行ってみると、めちゃくちゃ並んどるやないかーい!
開店後すぐに行ったのに既に30人ほどは並んでいました。
どうやら、博多では人気のラーメン屋らしく、店内には有名人のサインがずらっと飾られており、たまたま来ただけなのになんだか得した気分になりました。
もちろんラーメンは美味しく、せっかくなので替え玉もしましたぜ!
くそう、自分で写真を貼っておきながら、まんまと飯テロを受けている気分だ…。もう一度食べたい〜〜。
とにかくおいしくいただき、お腹も膨れたので、博多でお土産を買い、いざ大阪方面へ戻るべくヒッチハイク開始!
〈博多〜スターバックスコーヒー福岡新宮店〉
しかし、やはり都心部から高速に乗るには道路状況なども相まってなかなかハードルが高い。
とりあえず「北九州」と掲げ車を待つが、裏道のようなところでヒッチハイクをしていたため、あまり交通量がなく、苦戦を強いられた。
時間もあまりなかったので、とにかく早く移動したかったのだが、やはりヒッチハイク。状況が全く読めない。
初めての土地なので、どこにいればつかまりやすいのかが全くわからないので、正解が何なのかもわからない。
前回、博多からヒッチハイクをした時は3時間ほど手こずった。
そのような悪い記憶が思い出されるが、信じて待つしかない。
すると、一台の車が停まってくれた。
「北九州まではいかないけれど途中までなら」と言ってくださったので、乗せていただくことに。
乗せてくれた方も、あそこよりは国道3号線の方が望みがあるんじゃない?と言ってくれたので、地元民を信じるほかない。
欲を言えばこのまま高速道路に乗っていたかったが、わがままは言ってられぬ。
あっという間に3号線に着き、 確かにここなら交通量も多いし捕まえれるかな、と思った。
駐車場が広いスターバックスの前で降ろしてもらったのだが、スタバでドリンクと食べ物をご馳走して頂いた。長い旅になりそうだからと食料を恵んでくださった。本当にありがとうございます!
この道はIKEAが近くにあり、北九州から来ている方も多く、それに乗せてもらえるんじゃない?と言ってもらい、なんとかなりそうだと思いながらその方と別れを告げた。
〈国道3号線〜古賀SA〉
さて、ここまで順調にヒッチハイクを続けていたが、今までのヒッチハイク経験の中でもなかなか衝撃的な出来事(?)人物(?)に出会う。
例のごとくスケッチブックを掲げ、道路脇に立っていると、やはり広い道路だけあって交通量も多く、色んな人がこちらを見てくれている。
中には指をさして驚いている人や、笑っている人、頑張れ👍と合図を送ってくれる人などたくさんいた。やはりスルーされるよりは少しでも気にかけてもらえる方が気持ち的にもありがたい。
そうしていると、一台の車が前方に停まった!もちろん駆け寄って行くと乗せてやるとのこと。ありがとうございます!
北九州の小倉くらいまでなら行ってやると言ってくださったので、まさに歓喜雀躍であった。しかし、ここからが怒涛の展開である。
僕らは前述した通り割と時間が無く、急いで帰らなければならなかったのだが、車に乗るやその乗せてくれたおじさんは、車を進めることなくとにかく一方的に話しかけて来た。
どうやら初めてヒッチハイクを乗せて嬉しかったのだろうが、僕たちが今からの予定を伝えても全く進む気配がなく、むしろ自分の地元を紹介したいという様な雰囲気でもあった。
それ自体は非常に喜ばしく、時間があれば是非とも!と思うのだが、状況が状況なので、とにかく前進してもらわねばならんのであって、とにかく話すにしても、とりあえず走り出してほしかった。
結局車内での会話に30分ほど費やしてしまい、このままではマズイぞ?という雰囲気が車内に立ち込める。意を決し、車を降りるかと思ったが、どうやら降りられるのは嫌だった様で、とにかく走り出してもらったが、途中コンビニに寄られ、そこでもまた長電話をされ、かなり不安になっていた。
「これはマズイんじゃね?」「降りますか?」の様な会話を僕たちはしていたのだけれど、僕たちの行き先が広島だと伝えると、じゃぁ広島まで行こうと言い出したり、ほんともうどうすりゃいいんだ状態であった。
ヒッチハイクは基本的に他人の善意でさせて頂いているのだが、この場合だけはそんなことを言ってられる状況でもなかった。
しかし、依然として降ろしてもらえそうになかったので、とりあえず高速のSAまで行きたいと伝え、近くにあった古賀SAが徒歩で入れるSAだったので、とにかくそこまで送ってくださいと、本当に懇願し、なんとか頷いてくれた。
僕たちをもっと遠くへ連れて行ってあげたいと思ったり、もっと長く乗せてあげたいという気持ちはひしひしと感じていたので、申し訳ないなと思いながらもとにかく古賀SAまで連れて行ってもらうことができた。
しかし、運転は半端じゃなく荒い上に、道を支持しても全く聞き入れてくれなかったので、やっぱりこのまま乗っていたらヤバかったんじゃね?と思った。
初めて怖い経験(?)をしてしまったぜ。
でも、乗せてくださってありがとうございました!
〈古賀SA〜美東SA〉
古賀SAに徒歩で入場し、来たぜ高速って感じになったね。
高速にさえ入ってしまえば割となんとかなりそう感があるのがこのヒッチハイク。
みんなもヒッチハイクをするときは、とにかく高速に入ることを目的とすればなんとかなると思います。
というわけで、SA内でいざヒッチハイク!と思い、スケッチブックを掲げようとすると、どうやらもう一人ヒッチハイカーがいるではないか!
せっかくなのでと思い、声をかけてみると、どうやらこの日が1日目の様で、博多の方から来たとのこと。なかなか手こずっているご様子。なんでも神戸から出るフェリー(?)に乗るために、神戸までヒッチハイクで行きたいという。
こう行ってはなんだが、彼と話した印象は、なかなか行動力のあるオタクだなぁといったところだろうか。全身から漂うオタク感。別にdisっているわけではないが、ヒッチハイク向けの風貌ではないことは確かであった。
今まで出会ったヒッチハイカーは大体金髪のイカした大学生か、ラグビー部である。もしくはアメフト部。とにかく体がゴツい。
なので、彼はなかなか新鮮味があったのだが、単身でヒッチハイクするなんてすげぇなと純粋に思った。
せっかくなので記念撮影をして、お互いヒッチハイクを再開したのである。
すると、一台の車が僕たちの前に停まってくれ、乗せてもらえることに!やったー!
乗せてくれた方は母娘の2人で、春休みを利用して、父と兄は家に置き、2人で旅行に来ていたようだ。
娘はちょうど高校受験の年なので、太宰府天満宮でお祈りをして、帰ってきている途中だったらしい。名古屋から大体一週間ほどかけての旅の様で、割と色々観光している様で、この旅でヒッチハイクも数回乗せていたらしい。なので、見かけた時点で声をかけようと思っていたらしいのだが、前述した通り、もう一人ヒッチハイカーがいたのにどうして僕らだったのか尋ねると、どうやら娘さんの見た目査定で勝利した結果であったらしい。やったぜ!
やはり多少なり見た目も重要と言うことですね。人は見た目が100%っていうドラマもやってるみたいですし(見ていない)。
というわけで、無事進むことができた。2人はこれから島根の出雲大社に向かうらしかったので、中国自動車道と山陽自動車道の別れる手前の手前の美東SAで降ろしてもらった。ありがとうございました!
〈美東SA〜広島?〉
さて、美東SAについた頃には大体19時くらいだったかな?とりあえず寒かったのでつくや否やトイレに行ったり、服を着込んだりしていた。
その内にどうやら乗せて行ってくれる方が見つかった様で、なかなかいいテンポだ!と思い、そのまま乗せてもらうことに。
どうやら目的地は新岩国の様で、しかし、広島まで行くなら廿日市くらいまでは行けていた方がいいという見解だった。途中のSAで降りて、また新たに乗せてくれる人を探すか、新岩国まで行って新幹線で広島まで行くかを迫られた。
やはり、このまでヒッチハイクで来て、奇跡を起こして来たので、このままヒッチハイクで行くしかない!もちろんその様に考えていただろう。
…あっさり新岩国で降りて、新幹線で広島まで行くことにしました。はい。
いやー、本当にヒッチハイクでやりきりたかったのですが、体力的にも時間的にもなかなか厳しかったので少しズルしましたすみません!!!
というわけで、新岩国まで送っていただき、そのまま新幹線に乗り込み、15分ほどで広島へ!新幹線の速さに感動しましたね。新幹線サイコー!!!笑
広島に着くと、地元民の方に教えていただいたお好み焼き屋でお好み焼きを食べ、ネカフェでシャワーを浴び、お決まりの夜行バスで大阪へ。笑
というわけで、長きに渡ったヒッチハイクのブログがようやく完結しました。
いや〜長かった(サボっていただけ)。今回もすごいいい出会いがあり、得るものが多く、楽しい三日間になりました。
やっぱりなんでもやってみないとわからないことだらけだと思います。これからも楽しいことを追い求めて、いろんなことをやって行きたいなと思います!
もし、これでヒッチハイクをしてみようと思う方がいると、是非ともやってほしいなと思います。その時は僕も乗せることができたらいいなと思います。
長々とありがとうございました!
ではでは、またこれからもブログは書いていくのでよろしくお願いします!
旅の記録はプライスレス(ヒッチハイク二日目編)
ご無沙汰しております。前回から大変時間が空いてしまいましたが更新させていただきます。
前回、ヒッチハイクについて書いたのだが、予想以上に書く内容が多すぎたので、やむを得ず三部作になってしまいました。今回はその第二部です。
上中下でいえば「中」の部分。序破急でいえば「破」の部分。起承転結でいえば…どこかわかんねえや。
まあ、とにかく二日目のヒッチハイク旅、「北九州~長崎立ち寄り、博多行き」編をお送りさせていただきます。
一日目の紀行文はこちら。
北九州~古賀SA
前日、北九州の小倉に着いたのはおよそ24:30。眠りについたのは大体2:30くらいだった気がする。ヒッチハイク旅は時間が読めないので、すべからく早く行動することが求められる。この日は8:15に目覚め、朝食のサービスがあったので、とりあえず食べに行った。その後、シャワーを浴びたり、身支度をして10時頃にホテルを出発する予定だったが、準備中、9時頃からホテルのオンデマンドチャンネルで、暇つぶしに「僕だけがいない街」を見ていると、想像以上に面白い展開だったので、結局最後まで見てしまい、出発するのが11時になってしまった。何たる不覚…。まあ、面白かったので良しとしよう。
ホテルから歩いて一番近い小倉北ICでヒッチハイク開始。この日は雨の予報で、気温も少し肌寒かったので、早く見つかってほしいなと思いながら「博多」と書いたスケッチブックを掲げて立っていた。
すると、前方に停まってくれている車発見!荷物をまとめ、とりあえず車へと走る。
乗っていたのは一人の男性で、博多には行かないけれど、途中までで良ければと言ってくれたので、ありがたく乗せてもらうことに。
話をしていると、どうやら福岡県の中学校で教員をしている方らしく、今年度から転勤になったので、荷物の整理や餞別を渡しに行く途中だったらしい。結構多いな学校関係。
となると、道中話すことはもちろん教育についてなのだが、やっぱりどこの現場でも不満はあるのだなと思った。その上、やはり続けている時間が長ければ長くなるほど、人間はその環境に適応しようとしてしまうので、不満が不満で終わってしまいがちになる。「まあ、仕方ないや」とか「何も変わらない」とか思ってしまいがちになってしまう。それが大人と呼ばれているものなのかもしれないが、それでも僕はそうはなりたくない。この乗せてくれた方がそうというわけではないが、もっと抗ってみるのもいいのではないかと思ったし、お互い頑張ろうという話を最後の最後までして、古賀SAまで送ってもらった。目的が同じ集団だ。それさへ共通していれば、いろんな人間、いろんな思想がいたりあったりしてもいいはずだ。
古賀SA~基山PA
古賀SAから再びヒッチハイク。SAが改装工事中だったが昼時ということもあり、人の出入りは申し分なかった。
行き先をどうしようかと悩んでいたところ、「博多」と書かれたスケッチブックを見た二人組のギャルが「博多今から行きますけど乗りますー?」と言ってくれたが、長崎まで行きたかったので惜しみながらも他を探すことにした。ギャルと話したかったぜ…。
その後は博多?でゲストハウスを運営している人たちから頑張れと言ってもらい、ホルモン揚げをもらった。ありがとうございます。そうして掲げていると基山SAまで連れて行ってくださる方が!しかし、この方との記憶がほとんどない~…。たぶん、次はどこで降りるかとかどこまで目的地にしたらいいかとか、本格的にヒッチハイクの話しかしていなかったからだと思う…。本当に申しわけないですぅ…。
というわけで基山PAに到着!ここは大分、熊本、長崎に分かれる前の最後の大きな休憩所なので、長崎行きも多いだろうとのこと。ただ長崎自動車道は急に車が少なくなるので頑張ってくれと言ってもらい、その方とは別れた。ありがとうございました!
基山PA~金立SA
さて、基山PAに着いた我々だが、とりあえず腹ごしらえということで、基山PA限定の華味鳥バーガーをロッ●リアにて食らう。柚子胡椒が絶妙にちょうどよく、おいしくいただきました。
さて、腹ごしらえも済んだことなのでヒッチハイク再開。このとき少し天候が悪くなり、少し雨が降ってきた。雨のヒッチハイクはしたこともないし、かなり過酷だろうと思っていたので、できれば早く車に乗り込みたかった。
そんな時に爽やか高身長のイかした男性が「こんにちは」と声をかけてくださり、「ヒッチハイクしている人には行き先に関係なく声をかけてみて、もし乗せていけなかったとしても、頑張ってって温かい飲み物を渡したりするようにしているんです」と言い、温かいお茶を渡してくれた。イケメンすぎる…!
そして、長崎までは行かないけれど、途中のSAまでなら乗せて行ってあげるよと言われたが、ここなら直接長崎まで行く車に出会えるかもしれないとも言われた。決めるのは僕たちに任せるということだろう。僕らが出した決断はもちろん乗せて行ってもらうことだ。雨も降りそうだったし、何より早く長崎に行きたかった。
ということで爽やか高身長イケメンのトオルさんの車に乗せてもらい、途中の金立SAまで連れて行ってもらうことになった。ありがとうございます。
どうやらトオルさんはヒッチハイクの常連で、一度北海道にスノボーに行った帰り、荷物は先に家まで送り、体一つで北海道から地元である佐賀県まで、途中寄り道をしながら、約一か月間ヒッチハイクだけで帰ってきたらしい。なんという行動力。
その経験(これ以外にも海外でのヒッチハイクや様々な経験をしている)が現在の仕事でも非常に役に立っているらしい。具体的には営業などで、その地方地方での地元民なら知っているという情報についても詳しかったりするので、取引先との関係も円滑になるらしい。恐るべしコミュ力。
そんなトオルさん、なんと次期社長らしい。家業である仕事の三代目?だかなんだかで、そろそろ世代交代なのだそうだ。なのである程度時間も融通が利くらしい。納得の余裕感のある爽やかイケメン加減である。
そして、話題は僕らの仕事について。基本的にヒッチハイクをしていると、まず聞かれることは「学生さん?」なのだが、今回も例に漏れず聞かれた。とりあえず学校で働いている旨を伝え、ここでもやはり教育の話に。
ヒッチハイクをしている意味だの、教師だからこそいろいろ経験しなくてはいけないだの、僕の持論をしっかり聞いてくれ、余裕のある寛大な心で受け入れてくれながらも、トオルさんも熱く話してくれて、目的地のSAまで、とても時間が流れるのが早かった。
金立SAに着き、何とか雨もやみヒッチハイクができると思っていると、なんとこのトオルさん、先ほどの話で熱くなりすぎたのか、我々をなんと長崎まで送ってくれると言うではないか…。まさに神のような存在である。
しかし、トオルさん自身もかつてヒッチハイカーだったので、道中様々な人と出会うことも大切だということで、とりあえず15分ほどヒッチハイクをしてみて、どうしてもつかまりそうになかったらまた声をかけてくれと言ってくださった。
なので僕らは後ろ盾がある安心感からも、普段より活発にヒッチハイクを行うことができた。
そもそもヒッチハイクは全く予想ができないことばかりであり、途中心が折れそうなことも何度もある。4時間まったく動けないこともあった。なので、この安心感は非常に緊張感を解いてくれてとてもありがたかった。
そうやってヒッチハイクをしていると一人のおじさんが声をかけてくれた。
長崎に連れていってやるから荷物運びを手伝ってくれとのこと。もちろん快諾である。というわけでスタバで時間をつぶしているトオルさんに報告に行こうとしたがいない。なのでSA内の販売エリアに探しに行ってみると、どうやら何かを買っていたようだ。
僕はトオルさんに乗せて行ってくれる人が見つかった旨を伝えると、よかったねと言ってくれた。そして先ほどレジで買っていた佐賀土産と博多土産を渡してくれた。優しさの権化である。本当にありがとうございました。
金立SA~長崎
というわけで我々はおじさんの車に乗り長崎を目指した。
おじさんはここから長崎に行くよりも、長崎から博多に帰るほうが難しいんじゃないかと脅しをかけてきた。まさかこの予言が現実になろうとはその時の僕らは毛頭考えていなかった。
おじさんは東京~長崎間をよく仕事で行き来しているらしい。その仕事は楽器や機材のレンタルらしい。しかし、その仕事は副業らしい。謎の人物である。
また、本業はSEだと言っていた。なんでも、野球観戦のチケットサイトを運営しているらしい。今はソフトバンクのチケットサイトを担当しているらしいので、ほとんど博多に籠りっぱなしのようだ。世の中にはいろんな仕事があり、いろんな人が仕事をしているおかげで僕らは生きていけるのだと改めて感じた。
そんなこんなで話をしながら長崎を目指すが、こりゃまた長崎が遠くてたまらん。道中、山か田園、棚田などが広がっているだけで、住宅地なんてものはほとんどない。この時点でなかなか不安になっていった。
しかし、長崎に近づくにつれて車の数も少しだが増えてきたので、まあ何とかなるだろうと思っていた。
そんなこんなで高速を降り、おじさんの家に向かったのだがとにかく長崎、坂が多い!!おじさん曰く坂が多すぎて自転車は使い物にならないと言っていたが、なるほどと頷けるほど坂だらけであった。
そして、おじさんの家に機材を搬入。その後長崎の繁華街?っぽいところで降ろしてもらった。ありがとうございました。
長崎観光
長崎に着いたのは大体16時頃。ホテルのことなどを考えると18時には長崎から出発したかったので、なかなかタイトなスケジュールが求められる。
というわけで、道に電車が走りまくっていたのでとりあえず乗ってみることにした。しかし、これがまた初見殺しの極みのような乗り物であり、どのように乗り場に行くのかもわからないし、乗り継ぎをするときに運賃を払わなければならないのかもわからなかった。というわけでとりあえず出島で降りてみた。なぜ出島なのかというと、長崎で知っている地名が出島しかなかったからである。
結局、出島からオランダっぽい観光地まで歩いて行った。なかなかのロスタイムとなってしまったが仕方ない。
オランダっぽいところは本当にオランダっぽかった。オランダに行ったことはないが。
キリスト教が強い建物があったり、西洋建築があったり、グラバー邸にも入りたかったが、時間がなかったため断念…。
そんなこんなで足早に観光を済まし、カステラの試食を楽しみ、カステラをお土産に買って帰った。
せっかくなのでちゃんぽんを食べたかったので店を探したが、リンガーハットが多かった。大阪でも食べれるぜ…。と思ったので、なんだかシャレオツな中華レストランでちゃんぽんを頂くことにした。開店後すぐに入店したのだが、その時点で満席という人気店だったので味も期待できそうだった。
少しの間待ち、席に通されると、時間もないので一瞬で注文。まあちゃんぽんを食べると決まっていたので特に注文に時間をかける必要もなかった。しかし、人の数も多かったので、なかなか運ばれてこなかった。これには結構はらはらした。
そして、蓋付きちゃんぽんが運ばれてきた。蓋がついているだけで本格的な雰囲気を漂わせている。味もおいしい。今まであまりちゃんぽんは食べたことがなかったが、結構いけるなと感じた。
時間もなかったのでちゃんぽんを流し込み、店を後にし、ヒッチハイク再開ポイントへと急ぐ。この時点で少し雨が降っていたので、なかなか不安になった。また、長崎だから仕方がないが、長崎ナンバーの車ばかりで、高速に乗る車もあまりなかったので、いよいよ帰れるのかと心配になっていた。
長崎~博多
とりあえず、先程の楽器の運び屋おじさんに教えてもらったインターチェンジを目指し、路面電車に乗り、平和記念公園の近くで降りる。
本当は平和記念公園も観光したかったのだが、辺りは暗くなってきた上に雨も降ってきたので、とにかくインターチェンジを目指す。
歩きながらも「博多」と書いたスケッチブックを掲げていたが、通るのは長崎ナンバーばかり。かなり不安である。
とりあえず昭和町のインターチェンジに着いたが、これがまたヒッチハイクに向いていないタイプのインターチェンジであり、通行人のおばぁちゃんからも、絶対無理だと太鼓判を押される始末。通りがかりの青年に、博多までのバスが出ているからそれを使ったら帰れると言われたが、とりあえずヒッチハイクであることを伝えると、なんだか申し訳なさそうに帰っていった。すまない、しかしありがとう青年よ!
そこから全く捕まる気配がないので、我々は禁じ手であるバスを使うしかないのかと思い、とりあえずバスの時間を調べてみた。
幸いまだバスは何本か出ているらしく、予約するしかないか、と会員登録をするところまで考えた。
会員登録はしなかったが、どの道バスに乗るには長崎駅まで行かなければならず、昭和町から長崎駅まで歩きながら、「長崎」と書いたスケッチブックを掲げていた。とりあえず誰かに停まってもらいたかったからである。
すると、一台の車が停まってくれた。若いカップルであった。一度我々の前を通り過ぎたが、気になって戻ってきてくれたらしい。ありがたい…。
彼らは長崎育ちの地元民で、映画を見に長崎駅の方に向かっている途中だったらしい。
彼ら曰く、博多から長崎に来る人は新幹線で来ることが多いらしく、車はあまり期待できないらしい。僕たちも「そうですよねぇ」と、電車かバスを使うしかないのかあ、と思いながら話をしていた。
すると、助手席に乗っていた彼女が、友人に連絡して、博多まで乗せて行ってもらえるか聞いてあげるというので、僕たちはそれに一縷の望みに託す他なかった。
しかし、どうやらその友人はその時佐世保にいたらしく、僕らの望みは儚く散ってしまった…。
…かのように思われたが、少し同情してくれたのか、この出会いに何か感じたのかはわからないが、どうやらその時見たい映画もなかったらしく、博多まで少しドライブする?という展開になっていた。
私はこの時地上の神の存在を確信した(笑)。しかし、ヒッチハイクをしていると、毎回必ず神のような方々と出会ってしまう。優しさに助けられていると言ってしまえばそれまでだが、信じていれば手を差し伸べてくれることもあるのだと確信できる。
私のテンションはさっきまでの絶望と打って変わって、ただただ盲信するしかなく、胸の高鳴りは最高潮であった。
結果的には博多まで送ってもらえることとなった。本当にありがとうございました。
その上、飲み物までごちそういただき、至れり尽くせりで助かりました…!
長崎自動車道は思ったより車通りが少なく、閑散としていて、外灯もなかったので、長崎から一発で博多まで帰ることができなかったら、完全に野宿パターンだったと思う。ひえ~。
道中話をしたことはたくさんあるが、とにかく仲のいいカップルだった。というより、バランスが良かったのかもしれない。彼氏の方は天然キャラなのかわからないが、たまに、会話が嚙み合わなかったりしていて、それに対して彼女が罵倒するのだが、なんだか愛のある罵倒であり、それに対して彼氏も、まったく嫌な素振りも見せず、我々も楽しい雰囲気を過ごせた。
あとはやっぱり方言の違いや、ものの略し方の違いの話などで盛り上がった。
そんな話をしていると博多に到着。これまたホテルの前まで送って頂いた。本当にありがとうございました。これからも仲良く過ごしてください!
ちなみにカップルの方はあまり停まってくれないどころか、見て見ぬふりが多いと思う。やはり二人の時間を邪魔されたくないのか?どうなんでしょうか。
ちなみに僕は恋人と一緒にいたほうが声をかけやすいと感じるのだけれどとうなのだろう。まあ、人それぞれだろうけれど。
そんなこんなでヒッチハイク二日目も、皆さんの優しさで何とか成功しました!
唯一失敗したなと感じたのは、博多に着いてから飲みに行こうとしたのだけれど、時間がなく、さらに雨ということもあり、謎のメキシコ料理を食べる羽目になってしまったことかな。おいしかったけど、博多にきてメキシコ料理はなんだかなあ。
というわけで次回は最終日三日目についてお送りさせていただきます。
さすが最終日、やはり事件は起こってしまいますね。
我々に降りかかる事件とは何なのか。乞うご期待!!
ではでは!!